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HIKARU
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お箏を習いはじめたきっかけを教えて下さい。 |
Nakagaki
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簡単に言ってしまえば、「そこに箏があったから」。母親が習いに行っていて、それによくついて行ってたんです。5歳の5月に、「僕もやりたい」と言って習い始めました。このせりふは今でもはっきり憶えています。 |
HIKARU |
演奏家としてやっていこうと決心したのはいつ頃ですか?また、その決め手となったことってありますか? |
Nakagaki |
大学2年のとき。それまではのんびりお稽古感覚でやっていたし、高校受験、大学受験とかこつけてはお稽古休んだりして。もちろんぼつぼつは演奏していたけれど.....大学に入った時も箏はあんまりやるつもりがなかったんだけど、なんとなく『邦楽研究会』というサークルをのぞいた時、先輩方が壁に向かってもくもくと練習なさっている姿に感動してそのまま入会。そこで現代音楽というものに出会い、邦楽器によるオーケストレーションに揺さぶられ、邦楽の中の箏の可能性を感じました。直接には、三木稔作曲の二十絃箏の作品『華やぎ』を野坂恵子演奏のレコードで聴いたこと。これです。5分程の二十絃箏独奏曲なのだけど、猛烈に感動しました。聴いていて涙がでるでる。「これが箏なの?」雷に打たれた感じ。このときの感動を伝えたくて、今も演奏しているようなものです。 |
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HIKARU
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先日お話しの中で、演奏する時、お箏との距離感が大切とおっしゃっていましたが、具体的に教えて下さい。 |
Nakagaki
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吉村七重氏に「あなたは吟遊詩人タイプなのよね」といわれたことがあります。これが何を意味しているのか、正確なことは今でもわからないのですが、私は次のように受け取っています。「あなたは、調子のよいときにはすばらしい演奏をするけど、悪い時は駄目よね。」と。駄目といっても駄目の下限はあると思うのですが、この言葉は自分を見つめ直すよいきっかけとなりました。コンスタントに力を発揮できるのがプロの演奏家という定義があるとすれば、私は多分プロ失格でしょう。そのことに気づいたのは二十代後半です。1つの仕事が終るとかなりのエネルギーを消耗します。終ればすぐに次に切り替えてまたがんばるのが普通なのですが、そこにブレイクが欲しいと甘えるのが私なのです。こんな風にいっていると、相当な怠け者みたいに思えるかもしれませんね(笑)。ある意味当たっているのですが、要は「よい演奏をいつもしたい」ということなのです。そのために気分転換も適当にしています。ビデオを観るとか、インターネットで遊ぶとか。この辺のバランスを大事にしています。年々これは変化していくと思っていますが、その時その時のバランスを大事にして、無理しないようにしています。このあたりのことを「箏との距離」といったのではないかなぁと思います。 |
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HIKARU
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今まで、様々なコンサートや公演に出演なさっていますが、特に印象的だったものってありますか? |
Nakagaki
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最近の印象深いものをいくつか。まず1998年8月に演奏した『鏡遊戯(南聡作曲)』。箏3重奏なのですが、とにかく現代曲。最初の一音を3人で同時に鳴らすのですが、これが本当に一つになった。鳴らした瞬間、「今、自分鳴らしたか?」と思ったくらいに一つになれた。すごい爽快感でした。それから1999年3月の横浜美術館Classic Live。二十絃箏のソロ演奏をしたのだけど、自分の出す音が美術館の空間を飛び跳ねていくその感覚が忘れられない。音が踊る・・・こんな印象を受けました。そして2000年4月の世界パイロット会議。PMNでのオーケストレーションでの演奏だったのですが、外人さん達のスタンディングオベーションには感激。あの拍手はうれしかった。最後に、今年5月の資生堂トータルビューティーショー。モデルのひかるたちと競演し、箏を聴いてもらうだけでなく、観せることも大事だと知り、箏人生のよい転機となった仕事でした。舞台のあり方、箏のあり方、いろいろなことを考えさせられました。 |
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HIKARU
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これからやってみたいこと、やっていきたいことってありますか? |
Nakagaki
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他分野とのコラボレーション。恐れず、がんがんと挑戦していきたい。邦楽だけにとどまらず、色々な音楽ともセッションしていきたい。音楽だけでなくいろいろな人達とパッションを分かち合いたい。箏の可能性はまだまだあると思う。そんな可能性に向かって挑戦する一人の箏奏者がここにいる。こんな私を応援して欲しいです。 |
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