二十絃箏 : GAYO
ピアノ : KOTA
フルート : 鈴木佐英子
ヴァイオリン : 徳島由莉
ヴィオラ : 中村紀代子
チェロ : 菅野太雅
パーカッション : 岡村英(友情出演)
踊り : YOKO(友情出演)
書&踊り : 中西舞(特別出演)
主催:GAYO STUDIO
後援:フジモトゆめグループ
http://www.eye2-fujimoto.or.jp/(フジモト眼科)
http://www.smile-yume.com/(社会福祉法人 隆生福祉会)
http://www.ks-jyuku.com/(高等進学塾)
回想録第一章:準備編
回想録第二章:大阪前ノリ編
回想録第三章:大阪公演編
回想録第四章:大阪滞在編
回想録第五章:東京公演編
GAYOが箏を始めて40年。リサイタルから始まった自主公演30回目。
W記念ライブがこの「GAYO KOTO LIVE 2015」となった。
そしてこの記念ライブ公演をあらゆる面でバックアップしてくださったのが、「フジモトゆめグループ」様であったことをここに記しておく。
GAYOの人生の軌跡の1つとして、この公演の始まりから終わりまでを残しておこうと思う。
回想録第一章:準備編
2014年夏から始まったこの記念ライブの準備。
何をやろうか、何ができるのか、まさに考えていた時期。当初の構想ノートには、
・十三絃箏の世界(いわゆる古典と宮城曲)
・二十絃箏の世界(現代曲・日本音楽集団編)
・二十絃箏の世界(GAYOオリジナルの世界編)(箏フュージョン編)
・二十絃箏の世界(GAYOオリジナルの世界編)(箏ポップス編成編)
・二十絃箏の世界(GAYOオリジナルの世界編)(箏クラシカル編成編)
いくつか候補があがっていた。
かといって、全部やっていたら、出演者は20名越えるし、公演時間は4時間あっても足りなくなるし、今の自分に出来る範囲でやらないといけない。無尽蔵にお金があれば、この候補にははいっていなかったけれど、
・GAYO+オーケストラ+日本の楽器のオーケストラ
という超ビッグスタイルでやりたいという、遠い夢はある。2020年の東京オリンピックでやってみたい編成ではあるが、はたしてGAYOに出番はあるのだろうか?
などと思案しているうちに、秋の10月(2014年)29回目のコンサート企画が進む。GAYOがヴィオラを初めて取り入れるコンサートで、弦楽四重奏形式初挑戦のコンサートとなった。こちらの準備もしつつ・・・ライブの企画も進めていかねばならなかった。といっても、断然こちらの秋コンのほうが早いので、優先すべきは自明の理である。
と、そんな中、妹のYOKOに、大阪の藤本様を紹介される。
「ぜひ大阪で記念ライブを」
「やりたいことをやってください」
藤本様の、このお言葉がとても印象的だった。
ヨーロッパ公演はもとより、日本全国で演奏したい夢をもっているGAYOとしては、これは大きなチャンスだった。
気がつけば、細かい打ち合わせとともに、話がどんどん進んでいく。10月コンサートのフライヤー(DM)が出来る前に、2月のチラシ原案が出来上がっていたという。ありえないスピード。外部の力を借りることができると、こんなにも計画的に進むモノなのか。個人でできるコンサートの限界を実感。作曲・編曲・演奏以外の大部分を助けてもらうこの喜びは、きっと音楽家に限らず芸能家であれば、共感しうるものではなかろうか?
そして、この10月のMUSICASA「お喋りコンサート」、弦楽四重奏スタイルが、かなりの好評だったため、2月の記念ライブの編成が一気に決まる運びとなった。この評価に加えて、GAYOの目指しているヨーロッパ公演のためにも、クラシカル編成スタイル中心でいこうと決意。
・箏(GAYO)
・ピアノ(KOTA)
・チェロ(菅野太雅)
・フルート(鈴木佐英子)
・ヴァイオリン(徳島由莉)
・ヴィオラ(中村紀代子)
この6人編成となる。
GAYO的思考の流れとしては、
10月の弦楽四重奏スタイル(箏、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)
+
ピアノ
+
フルート
ということ。派手さを望むのであれば、ここにパーカッションやら、ギターやら、管楽器やら、いくらでも増やしていけるのであるが、これでよし。
今回の一連のチラシ、プログラム、チケット、すべてのデザインは、「フジモトゆめグループ」の「岡村英さん」の作品。GAYOは一切手をだしていない。おかげで、素晴らしいものが出来上がった。この一連の事務作業は、毎回GAYOが四苦八苦している分野で、ここのサポートもしていただけたこと、「フジモトゆめグループ様」には、感謝。
さて、10月コンサート後の秋終盤、GAYOが「アイリッシュダンスの出来る人」を探していた。アンコール予定の「Wassail」(GAYOオリジナルアイリッシュ風楽曲)に、アイリッシュダンスとコラボしたかったのだ。もしくは、アイリッシュダンスをちょこっと教えてもらって、出演メンバー全員で踊りたかったのだ。
それを読んだある企画会社の「山本様」が、連絡をくださった。
「GAYOちゃん、いいダンサーいるんだけど」
「アイリッシュは踊らないらしいけれど、紹介するよ」
「とってもいい人だから」
GAYOの動きも早かったね。連絡もらって3日後にすぐに会ったもの。
その方は「中西舞」さん。結局、今回の記念ライブに出演してもらうこととなった。
そして、この「中西舞さん」
素敵な女性なんですよ。人間的にも。出会ったばかりなのに、話は弾むは、アーティストとしてのあり方、心構え、目指す高みが、同じというか、似ているというか。ずれがない。ぶれもない。
よくGAYOが口にする「○○屋」と「○○家」の違いを、当たり前のように理解している方で、同じ芸術家としてここまで意気投合するのは珍しいことでもある。
そこから始まる、今回の特別コラボステージ構想。
俗に仕事でもやる「コラボレート、コラボレーション」は、実は、ほぼやっつけなのね。リハーサルがあれば、まだましなほうで、基本は、有名なアーティスト同士を組ませるだけのもの。ぶっつけ本番が多い。そしてそれができるのがプロ・・・みたいな風潮がある。これは、はっきりいって間違いだと思う。音楽もそうだけれど、アドリブだけのステージは、ごくたまーに、素敵なものが生まれるときがあるとは思うけれど、基本、しょぼくなる。個人ががんばるだけで、まとまりがないというか。(GAYOの私的見解ですので、否定しているわけではないことはご了承ください)
そういうコラボを依頼されて積み重ねてきたGAYOとしては、もう一歩踏み込みたかった。コラボレートというものの1つのあり方を。少なくとも、演者同士がしっかりと作り上げるモノの方向性を共有するということは、不可欠であると、みなにみてもらいたかった。
では自分のコンサートで、どのようにそれを表現するのか?
そのために、中西さんとは数度にわたり打ち合わせをした。やりたいこと、やれること、その構想と結果までを予想して。
そして、自分たちで作り上げる、1つのコラボのあり方を、メンバーにも、お客様にも、できれば、他の音楽家や芸術家、企画会社、クライアント、いろいろな方にみてもらいたい、もらいたかった。
映像でみてもなかなか伝わらないのがライブ感。大阪、東京でみられたかたは、間違いなく「感動」したことでしょう。そうであってほしいし、そうでないと、プロの演奏家ではないと思う。そのくらいの自負はあってもよいのではなかろうか。
そんなこんなで、メンバーが1人追加され、7人編成となるのであった。
大阪までの交通費、大阪での宿泊代を出してもらうGAYOとしては、メンバー7人+アシスタント、合計8人の諸経費を出していただきました。
もう演奏でかえすしかない。決意が軽い緊張となって、これが2014年の後半から2015年のライブが終わるまで続くのであった。
そして12月がやってきた。GAYOの、2015ライブ用の編曲真っ盛り。2014年は演奏依頼が少なかったので、それが幸いして、楽曲作りには集中できたのである。しか〜し、17日(自分の誕生日)までに終わらせるよと宣言していたにも関わらず、終わらない。お約束だね。
なんでだろね、おわらない。25日までには・・・
おわらない。年末までに・・・
おわらない。結果、年をまたいでの譜面完成となりました。
そして、2015年1月に突入。
来月大阪だ。なんて呑気に構えていたのだが、来月といっても2月1日公演なので、もう1ヶ月切ってるのよね。あれま、あれま。
そして、怒濤の1月集中リハーサルが開始される。全員がそろった最初のリハーサルは11日。ぐだぐだだったね(笑)そりゃそうだ。譜面ができあがるのが遅かったからね。みんなありがとう。
細かく、いろいろなセクションごとのリハーサルが、3日に1回のペースでGAYO STUDIOで行われる。
GAYO的感覚だと、
なんかのリハーサル・事務仕事・事務処理・練習・なんかのリハーサル
そんな繰り返し。
気がつけば、1月28日の最終リハーサルを迎えていた。
そこにくるまでに、メンバーにはいろいろ嫌なことメールに書いたり、口でいったり、はっぱかけたり、ついでに自分もがんばって追い込んだGAYOでしたが、みんな凄かった。この28日のリハーサルで、GAYOの不安はなくなりました。逆に28日が素晴らしすぎて、本番ピークすぎてるんじゃないか?と心配になったのも事実。そう、プロっていうのは、これでいい。こうでなくちゃいけない。事務処理も大阪公演に関してはすべて「フジモトゆめグループ様」にお任せしてあるので、大阪入りするだけ。
メンバーは前日の31日入り。
GAYOは、ひとり、30日入りとなる。
出演者7名に加えて、今回、「フジモトゆめグループ様」から、社員の方がパーカッションで特別に出演してくださるという。すべての印刷物をデザインしてくださり、GAYOの窓口となってくださった方「岡村英さん」。彼に、さらに演奏までさせてしまうという鬼企画。プロでなくとも、GAYOのステージは参加できるよという、1つの試み。
苦労するのはきっと「岡村さん」・・・。承知で参加してくださったのだろう。感謝。
岡村さんの苦労した話は、次の章「大阪前ノリ編」にてあきらかになる。
回想録第二章:大阪前ノリ編
【大阪入り】
さて、30日(金)の東京は「雪」だったのだ。がっくし。楽器移動でタクシーを使っているのだが、東京は雪が降ると、タクシー予約ができなくなる。そして、走っているタクシーも少なくなる。利用者は増える。普段タクシーを使っているGAYOだからといって、優遇されるわけではないので、ここはあきらめの一手。
雪といえば、一年前の GAYO KOTO LIVE 2014 あの苦い思い出がよみがえる。東京大雪でお客さんが遠方からきた10名ほどしかいなかったという。ライブハウスに払う保証金が痛かった・・・ま、それは内部事情であるが、音楽家がコンサートやって大赤字になってしまうと、生きていけなくなるのである。今回の「フジモトゆめグループ様」のご援助がいかにありがたいことか。
さて、「雪」。タクシーをあきらめたGAYOとしては、意を決して、楽器手持ちで東京駅に向かうことにする。楽器を電車で運ぶのはこの15年なかったんじゃないかな。いつもタクシーだったので。
今回1番怖いのは、Studioから代々木上原駅までの雪道。これがかなりヤバイ。転んでも楽器もってるから手つけないし、ついてしまうと、楽器がおちてしまうし。転んだ場合は、あれか、自分が身体を張って、下敷きになって、楽器を守る!!
格好いいけれど、それで自分が怪我したら公演中止になるじゃない。他の箏の方がGAYOの曲やっててくれたら、代役でお願いできるのに・・・いないのが現状。悲しすぎる。ほんと、箏上手な人、寄ってこないかな(切実)
とまぁ、そんなことを思いつつも、小股でテコテコゆっくり駅に向かう。もちろん、12時東京発なので、余裕をみて10時にStudioを出てみた。
結果・・・無事に、11時前に着いてしまったよ。早すぎる。ホームで1時間以上待つのもアレなんで、乗車変更して、大阪に向かいました。すいててよかった。
さて、ここで「フジモトゆめグループ様」に御礼を。
今回の大阪移動と滞在にあたり、メンバー・スタッフ全員に、新幹線グリーン乗車券2枚と、タクシーチケット4枚、そして宿泊ホテルを手配してくださいました。代表してGAYOから、心より御礼申し上げます。最高の待遇です。
私の過去の演奏仕事では、Cartierさん直の仕事のときくらいじゃなかったかな。ここまでしてくれたのは。大きな外資系の会社での最高待遇が、まさかのGAYO個人ライブの後援で、しかも、メンバーすたっふ全員にしてくださるとは。この、徹底ぶりに感服するとともに、御礼を、そして、今後の自分の生き方の参考にさせていただきます。きっとこの気持ちは、大阪入りする今回のメンバー全員に伝わっていると信じています。
ちなみに、GAYOは楽器移動は、基本グリーンでやってます。指定席チケットしかいただけなくても、自腹でグリーンにしています。指定席回数券からグリーンにアップするのは非常に難しいので、できれば、GAYOの分だけでも、グリーン券にしていただけるか、後日請求のこちらで手配する形にしていただけると、ありがたいです。(なにげにクライアント様方にこっそりアピールタイム)
理由は、自分が広いところに座りたいから・・・というのは、5%くらいで、95%の理由は、二十絃箏を棚に載せるときに、他のお客様の迷惑にならないから=載せるスペースを確保できるから、です。指定席だと、下手すると満席になることが多いので、楽器を棚にのせるスペースがなくなってしまうのですよ。グリーンが満席のときは、それはもうしょうがないので、周りの方のご好意に甘えて、よせていただいてのせております。縦一列分、グリーンのほうが人口密度減るので、荷物密度も減るのでございます。どうか今後の参考にしていただければ幸いです。
話はかわり、東海道新幹線といえば?何を連想されますか?
GAYOの場合は・・・・そうあれです。
車内販売の「アイスクリーム」(スジャータ製品)です。春ころ?夏頃だったか?は「メロンアイス」(高級シャーベット風?)が激旨だった。280円くらいだったかな?今回もそれを食べようと乗り込んだのであった。
・・・(そのはずだったのだが)
手持ちで運んだ疲労からか、GAYO飛行機現象というやつが、発生したため・・・・・
乗った瞬間に眠った・・・・。
平和だぜ、GAYO。
もちろん、寝過ごし防止で、のぞみ「新大阪止まり」に乗車変更してあります。そこは完璧!
そして新大阪に着いたわけだ。
楽器かかえて、箏備品全部いれたリュックしょって。
独り、大阪に降り立つGAYO。
最初にすること。「タクシー乗り場を探す」
これ大事。改札を出て、1番近いタクシー乗り場に向かう。右だったかな?手前にジャンボタクシーが2台止まっていた。運転手さん2人が外で談話していたようなので、楽器かかえたGAYOが聞いてみる。
GAYO:大阪第一ホテルさんは、近距離ですか?
(そう、ここで近い場所を近距離以外でのると、運転手さんの舌打ちが待っているのだ)
運転手:そうだね、近距離圏内ではないけれど、近距離のると無難だね(これを大阪弁で)
GAYO:ありがとうございました
運転手:それなに?
GAYO:お・こ・と
運転手:おぉ〜
べたな会話だね。というわけで、その先にある近距離タクシー乗り場に向かう。今度は乗り込むときの運転手さんとの会話
GAYO:助手席倒していいですか?
運転手:(けげんそうな顔)いいけど
GAYO:(笑顔)ありがとうございます
運転手:(GAYOの作業をみつめている)(まだみつめている)
GAYO:(さっさと楽器を車内にいれる)(そして乗り込む)
運転手:どこいくの?
GAYO:大阪第一ホテルさんへ
運転手:あぁ、丸ビルの・・・
そこからは、怒濤の運転手さんのトークが始まる。大阪人すごいわ。タクシーを走らせながらの観光案内。あれはなんだ、これはなんだ、夜はどこどこいくといいぞとか、楽しすぎる。最初、けげんそうな顔とか思ってしまってごめんなさい。話をしているとあっという間に到着してしまう。このまま大阪観光!といってもいいくらい時間はあるのだが、それはそれ。御礼をいって楽しい運転手さんとお別れする。
ここで話題にあがった「丸ビル」。
東京の人が「丸ビル」と聞くと、100%「丸の内ビルディング」を想像する。
これと同じことが、大阪人の場合は、この丸いビルを想像するのかな?
会話してて、イメージの違いをもったまま、丸ビル発言をすることにとても違和感があったことをメモしておこう。そして「丸ビル」が、ほんとに円筒形のビルだったから、丸ビルだったという・・・なんてわかりやすい大阪人。
大阪第一ホテルさん。30日と、2月1日、2日、3日と、結果4泊お世話になるのね。
その初日。どんなものかとおもいきや、ビジネスホテルクラスだとは思うのだけど、部屋が思ったより広くてうれしかった。なにより、ノートPCを貸し出してくれる(有料ですけど)のがありがたい。ネットカフェ探さなきゃと思っていたのだ。
GAYOはスマホにPCメールを転送しないので、すべてのメールのバックアップとなるYAHOOメールをチェックしたかったのだ。決して、戦国IXAの内政したり秘境だしたりしたかったわけではないとはいわないが、時間つぶしにはもってこい。(回線が遅いのは、愛嬌よね)
しかし、翌日は大阪ヒルトン宿泊なので、荷物は・・・・
あれ?着替えがない・・・・。そうだ、ヒルトンにおくっちゃったんだった・・・。
うへー。あるのは、箏と箏関連備品のみ・・・。練習はいくらでもできるけど。
17時に、岡村さんとロビーで待ち合わせ。
そして17時。大阪第一ホテルさんロビーにて、再会。まずは喫茶店で、打ち合わせ。
細かいところの確認を先にすます。そして本命の譜面をひろげたリハーサル。ついつい熱がはいって、ぽこぽこテーブル叩いたり、声が大きくなったりと、周りに迷惑をかけてしまったかもしれない。でも、大事。
今回、岡村さんには「大地」「Sprite」「Wassail」の3曲に参加してもらうのだ。どの曲も、だいたいパーカッションのいれる具合や方向性のズレはなかったので、あとは、明日の全体リハーサル次第かなということになり、早速食べてみたかった「大阪の串カツ」案内してもらった。
金曜日の夜だったので、どこも満杯。うろうろしながらも、ようやく1軒みつけて入った。噂の「二度づけ禁止」の貼り紙もありました。ほんとにあった。野菜中心の串カツをいただきましたが、ビールとともに最初に頼んだ「ドテ焼き」というのが非常においしく、おかわりをして「Myドテ焼き」をGETしたGAYOであった。美味。そこでも今回の公演準備の話やら、参加する3曲の話やらで盛り上がり、次に向かうは、ビルボード大阪さん。
【バーシアさん】
そう、この日は、「バーシアさん」という、ポーランド出身でイギリスで活動する歌手のライブがあったのだ。14000円くらいのチケットだったのかしら?当日の下見も兼ねて、藤本様や香月さんたちと合流する。21時半の2セット目の公演でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2
(バーシアさん情報)
わたしは、あいにく世間知らずの箏奏者のため、バーシアさんも、バーシアさんの歌う楽曲も存じ上げてなく、さらに、英語の歌詞、MCも英語と、ハードル高いなーと思いつつ、聴いていたのですが、これがまた、素晴らしい。そして面白い。英語が直接わかってるわけではないけれど、MCなぜかだいたいわかっちゃうのよね。(歌詞はわからなかったけど)
右隣に、「フジモトゆめグループ」の「香月さん」(いろいろ裏方事務処理をしていただいた)
左隣に、「フジモトゆめグループ」の「岡村さん」(デザインやら、パーカッションやら、窓口やら・・・)
そのまた左に、「フジモトゆめグループ」御大の「藤本様」(感謝してもしきれません)
MCが、ちょっと違って受け取ってるかな?と思えば、右にいる香月さん(英語ぺらぺら)に、「今こういってた?」みたいに確認する。なんて贅沢なポジションだろう、GAYO。まったく知らない尽くしのステージでしたが、大変面白く、あっという間に終わってしまう。あえていってしまえば、同じバンド編成だから、どの楽曲も似ている・・・というか同じにきこえたのは、GAYOの耳の問題か・・・。そして最後の曲が終わろうとした矢先に「事件は起こった」のである。
バックバンドの音が鳴っている中、そしてコーラス女性2人の声が延びている中、突如として、ご本人のバーシアさんが「AHAHAHAHAHAHAHAHA」と笑い出した。
これは演出か?と思ってみていると、なにか話始めた。多分、こういっていたのだろう(GAYO訳)
バーシア:あははは、先に歌い終わっちゃったよ。ここは長くしたんだった。あはははは。間違えちゃった。あはははは。
そして、そのまま曲は終わり、メンバー全員退場していく。これが日本公演最後のステージだったらしい。いいのか?これでいいのか?メジャーな人ならこれアリなんだ!(よし、GAYOもいつかこんなステージをしてやる)新たな決意に燃えるGAYOが誕生した瞬間であった。
大阪公演だから、大阪風にオチをつけたのか?だとしたら、私も、明後日の本番で、こういう演出もありなのか!?そして、割れんばかりの拍手の中、アンコールで再登場してきた。そのときのMCは多分こんな感じ。
バーシア:今度はもう間違えないからね!( I promise .....ときこえたから、多分こんなふう)
こんなMC(英語)でも、大笑いが生まれる。素晴らしい。楽しい。そして無事に終演。バンドの人も本人も、一切譜面台おかずに、楽しそうに演奏していた。ここまで仕上げるにはどれだけやったんだろうとか、やっぱり譜面台おかないほうが、みていて楽しいよねとか思いつつ・・・・私の公演、みんな譜面台おくんだろうなーとか思いつつ。いつか、みなに無理いってでも、譜面なしで演奏してもらいたいものである。
終演後はステージ周りを下見。動線やら、距離感やら、2月1日公演のためのもろもろをチェック。会場をでると、出口までにホワイエスペースがある。そこには小さなモニターが並んでいて、出演アーティストの映像が流れている。
(ふーん)
普通にそう感じて、通り過ぎようとしたGAYOであったが、ふと藤本様がこんな一言をもらした。
藤本様:GAYOさん、DVDお持ちになられましたよね?
GAYO:・・・・・・・・
フジモトゆめグループ一同:・・・・・・・・(ま、まさか?)
GAYO:(はっ!)(ここでようやく、自分のPVをもってくることを忘れたことに気がついた)
(すっかり忘れていた)
GAYO:な、なくても、OKです。なんか適当なものを流してもらっても・・・
(すかさず藤本様)
藤本様:新大阪朝6時から新幹線でてますので、東京に戻って、10時の新幹線でこちらに戻れば、15時からのリハーサル余裕で間に合いますよ
GAYO:(こ、これは、真剣なのか?大阪人の冗談なのか?)
フジモトゆめグループ一同:(そうそう・・・的な雰囲気で、誰も、それは・・・といわない)
GAYO:(明日朝起きて、戻るのか・・・戻らないといけない状況なのか・・・・)
GAYO:ちょっと考えます
どうするよ・・どうするよ。なくていいよ。なくてもいいよ。戻るのやだよ。お金かかるし、時間かかるし。でも戻る時間あるし・・・。保留。
とまぁ、終わったのが23時過ぎだったので、そのままみなとお別れ。だったのだが、藤本様とトップ会談をしたかったので、失礼ながら、大阪第一ホテルフロント前の椅子で、0時すぎまで話合い。今回の一連の御礼やら、こちらサイドで迷惑かけている事柄を謝罪。メンバーの前ではお互いにこういう姿みせたくないので、問題点やらもろもろを洗いざらい。私もよい勉強になりました。今回は。そして本当に感謝しています。
【30日の夜中】
さて、バーシアさんのライブで興奮しているGAYOは、この後どんな行動にでたのか。
藤本様と別れ、まずしたことは、DVDをどうするか。自分が戻らないのであれば、方法は2つ。
1つめは、ピアノのKOTAさんに電話して、明日大阪入りする前にStudioによってとってきてもらうという方法。しかし、そんなことをKOTAさんにしてもらうわけにもいかず、ついでにStudioの鍵ないし、KOTAさん、30日(土)東京で御仕事あって、そのあと最終新幹線で大阪入りするし、取りにいってる時間もない。じゃ、なぜKOTAさんなのかというと、この0時すぎの時間帯に電話を遠慮なくかけることができる唯一の・・・人だから。そうKOTAさんは通常、朝7時くらいまでは起きている完全夜型音楽家なのであった。(逆に言うと、午前中は、電話繋がらないのだ)というわけでこの案は却下。
2つめは、王道ですね。アシスタントさんに頼む。Studioの鍵もっているし、ちょうど明日入りだったし。夜中だったけれど、電話でお願いする。ここでも問題は発生する。GAYOがそのDVDの所在を把握していないという。最後につかったのは、GAYO KOTO LIVE 2013だったので、2年前だったのだ。これは、いま電話で話してもしょうがないので、明日、なんとかSTUDIOに寄ってもらってその時に・・・・もう一度ということで、決着。いやー、申し訳ない。ほんとに。そしてありがとう。
大きなトラブルは一気に解決の兆しをみせ、安心したGAYOではあるが、ライブを聴いたあとの浮遊感がおさまらず、そのまま近くの「魚民」(居酒屋)に特攻をかけてみた。
なぜに特攻したのか。飲み足りなかったわけでもないし、もともとそんなに飲まないし、ただ眠れなかったというか、音楽したくてしょうがなかったのね。ビジネスホテルだから、多分楽器だして音だしたら怒られそうだったので、五線紙もって、「魚民」を選択した。そこは、居酒屋ビルディングみたいなもので、ネカフェも入っていた。他の居酒屋でもよかったのだが、1時過ぎから朝までやってる店となると、3軒くらいに絞られる。Studio近くの代々木八幡の「魚民」オープンの話を以前FBで書いたが、グランドメニューがリニューアルしたらしく、美味しかったのね。それで大阪魚民もチェックという流れになった。
さて、お店はこの時間空いていたよ。生中x1、お通しx1、キムチx1だけで、このあと2時間滞在したのだ。3時過ぎでしたね。ホテル戻ったのは。2時間もなぜ・・・
今回のライブにないテイストといえば、アドリブ合戦とか、ちょっと小洒落たサウンドとか、そのへんを、「SPRITE」の中でやりたくなり、メモ代わりにふんふん鼻歌をうたい、机をぽこぽこ叩き、たまにお皿をチーンとしたりして、独り賑やかに過ごしたのだ。お店のひとに怒られなかったのは何故だろう・・・・注文も、ビールとキムチだけという・・・。そして、とりあえず、上機嫌でSpriteアドリブ追加編が書き上がったところで、ホテルに戻って寝ました。
後に、このメモ部分が、大きな失敗となるのだが・・・・
ここまでが前々日の話。
ーーーーーー
【前日(1月30日)】
朝は、アシスタントさんからの電話で起きる。ぐっすり寝てました。そりゃそうだ。Studioに到着したらしく、どこにあるのか、あそこか、ここか、そこか、言い合いながら、なんとか見つけてくれた。ありがとう。ついでにバラすと、GAYOは、クレジットカードもおいてきてしまったので、ついでにそれも探してもってきてもらった。ほんと、助かった。
朝ご飯は食べるひまもなく、荷物整理して、チェックアウト。大阪第一ホテルさん、この12時チェックアウトシステムはとてもいい。そして12時にお借りしたノートPCを返却し、チェックアウト。隣の・・・・ヒルトン大阪ホテルさんへ移動。チェックインは、15時からなので、楽器と、東京から送った荷物たちのチェックをする。
ロビーにて、12時半に藤本様と待ち合わせ。打ち合わせを兼ねて、「キートス」という洋食屋で御飯を食べて、15時からのリハーサルに行く予定。「フジモトゆめグループ様」のお店でもある。なんて手広い。噂によると神社もお持ちとか、保育園もお持ちとか、進学塾もお持ちとか、その他いっぱい。実業家であらせられる。
ロビーで、藤本様を待っていると、ヒルトン大阪のフロントに、チェロをかかえた身体の大きな男性がいる。「太雅さんだ!」というわけで、大雅さんと合流。藤本様とも合流。みんなで御飯いくぞーという状況が完成。ちょうどアシスタントさんも新大阪着いたようなので、もうしばしみなで到着を待つ。
「DVDとクレジットカードをありがとう」
「東京ー新大阪、往復しなくてすんだよ」
という頭のあがらないGAYOではあったが、いざゆかん、「きーとす」へ。
さて、この洋食屋。誕生秘話は、いろいろ面白い話を伺いましたが、それはまたの機会に。うまいんだよ、ほんとに。これから他の仕事で大阪いったときには、ぜひとも毎回立ち寄りたい。
男性はヒレカツ(でしたっけ?)カツレツ?
女性はオムライス
どちらもうまい、うまかった。これだけは食べてみないとわからない。オムレツが運ばれてきたときの、あの「ぷるぷるぷるぷる」を、ぜひみていただきたい。そしてここのオーナーシェフの「川岸健二さん」は、なんと明日の大阪公演にもきてくださるそうで。ありがたやー。
おいしくいただいた後、のんびりしすぎて、あわててタクシー2台でリハーサルスタジオに向かう。GAYOは藤本様とご一緒したのだが、
藤本様:運転手さんいそいでね
運転手:はい
という基本会話を前提に、走っているそばから、
藤本様:GAYOさん、あれが「○○」です。そしてこれが「▲▲」です。
ガイドをしてくれる。まるで初日のタクシー運転手さんのように。おもしろすぎる。そして説明が始まるたびに、タクシーの運転手さんが、ブレーキを踏んで速度をおとしたものか、どうしたものか悩む姿が、これまた大阪人らしいというか・・・・。運転手さんと藤本様の漫才が・・・おもしろすぎた。大阪の人ってすごいわ。ほんと。
急いでといわれてるからブレーキを踏めないのだけれど、観光案内してくれるから、そのときはブレーキを踏みたくてしょうがないという運転手さんの内心が、うまく大阪弁とあいまって、最高の味を醸し出していた。
【前日リハーサル】
とまぁ、そんなことがありつつも、リハスタに到着。そして続々GAYOのメンバーが集結。
リハーサルは主にパーカッションとの合わせ主体。メンバーは、28日に東京ですませてきてるのであった。あっという間に3時間が過ぎた。やり残したところは、夜、ヒルトンの私の部屋で居残り練習です。18時にリハスタ撤収。みなホテルにチェックイン。GAYOと岡村さんはそのまますっとんでビルボードさん隣のカフェに向かう。前日打ち合わせをビルボード担当者さんとするのであった。
【前日会食】
照明のこと、音響のこと、当日の流れの最終チェックをすませ、全員と合流したのは、ヒルトン大阪さんの中華レストラン。「ここ、中華じゃないでしょ」と、行けばつっこみたくなる内装で、そうね、WizOn的にいえば、「蒼の洞窟」ダンジョン系。FF10で言えば・・・妖精ロード風。異世界ですね。
そこで、全員集合。中西舞さんも合流。いなかったのは、残念、KOTAさんだけなんですね。本人とても悔しがっておりました。おいしく料理をいただき、親睦を深め、明日の本番の伝達事項をして、宴もたけなわというところで、藤本加代子様(藤本様のお母様)(今回の大スポンサー様)降臨。素敵なお話を伺い、みな恍惚。日本画の安藤樹里=ANJU=も合流して、そしておひらきとなる。ごちそうさまでした。
メンバー女子、例の東海道新幹線の車内販売アイスの話を覚えていたらしく、食べてきた人が数人いた。そして、やはり美味しかったらしい。しかも、メロンではなく、この時期は「みかん」だったようで。帰りはGAYOも食べるぞと、かたく決意するのであった。
【追加リハーサル】
さて、ここからはみなホテルの部屋にもどって睡眠となるわけだが、リハーサルでやりきれなかったパーカッションセクションを、GAYOの部屋でやることに。岡村さんには、テーブルや椅子を叩いてもらう。GAYOも部屋で箏を出してチューニング。誰かきてくれないかなーと思っていたら、ヴァイオリンの徳島さんが、降臨。ありがたい。箏のないところ音だしてもらえる。岡村さんは、ご自分の仕事とリハーサルと、宴席と、居残りリハーサル、本当にご苦労様でした。そんなこんなで、熱のこもったリハーサルが結構続く。
夜遅いということも忘れ、がんばったよね。うちら。あたりまえのことだけれど、できてないところを仕上げるのは大事なのだ。そもそも、「SPRITE」は、プロですら、1回のリハーサルじゃ、うまく演奏できないもんなのよ。ねぇ、KOTAさん、TAIGAさん。それを、いきなり岡村さんにやってもらうという企画をするあたりが、GAYOの悪魔たる所以であって・・・責任は私にあるのだ。
過去に、この「SPRITE」1回目のリハーサル(初見ではないけど)で完璧にこなした人は、1人しかいない・・・。そう、あの天才アホキーボード奏者「大沼あいさん」である。プログレバンドをやっている彼女を、いつか、どこかで御披露目したいと思う。大阪出身のこの人のライブを聴いたあと、私の「SPRITE」って、なんて音数少ないんだろうって、、、、思う。ほんと。あはは。
リハーサルがんばって、追加リハーサルもがんばって、へとへとでござる。 翌日、中西舞さんにいわれた。
舞:GAYOさん、昨日は遅くまで熱こもってましたね。今日大丈夫ですか?
え?なんで知ってる!!そう、私の部屋の隣は、KOTAさんで、KOTAさんは、最終でお腹すいてやってきて、そのまま私の部屋にらちして、リハーサル監修つきあってもらったのだ。徳島さん=YURIさん=とANJUが同室だったため、ANJUもこの追加リハーサル見学していた。そして逆の隣が、なんと舞さんの部屋だったと。しまった・・・チェック忘れていた。でも、知らない人じゃなくてよかった。睡眠邪魔してごめんなさい。
そんなわけで前日が終わる・・・・
はずが終わらない。
だって、お腹すいたKOTAさんがいるのよ。ほっておいて、私が寝ちゃだめでしょう?
どうする?いく?いっちゃう?
いくよ。「魚民」第二弾。連日の魚民さんにお世話になったGAYOであった・・・・。
(こんな真夜中に・・・)
回想録第三章:大阪公演編
GAYO KOTO LIVE 2015 大阪公演
2015年2月1日(日)
Billboardlive OSAKA
14:00〜
とにもかくにも、大阪で1番素敵なライブハウスで公演できる喜びをお伝えしたい。これはGAYOだけではなく、今回のメンバー全員思いは同じだと信じる。なかなか個人でやれるライブハウスじゃないんです。「フジモトゆめグループ様」に感謝。
まずは朝。起床。なにぶん、昨夜遅くまで追加リハーサルしたのと、そのあとのKOTAさんと魚民いったおかげで、起きたら・・・・・あれまぁ、8時過ぎ。今晩からはまた隣の大阪第一ホテルさんに戻らねばならないので、部屋の荷物を全部撤収。深夜のリハーサルでだしっぱなしだった楽器の撤収・・・もろもろであっという間に集合時間の10時半がやってくる。時間ぎりぎりにようやく荷物がまとまるものの・・・・量が多い。こうなったら、非常手段。
隣の部屋をノックする。(注:舞さんじゃないほうの部屋)
やっぱりいた。KOTAさんなら、時間ギリギリまで部屋にいると思ったんだ。頼れる男だ!そんなKOTAさんに、荷物をいくつか持ってもらう。大事なピアニストの指に・・・・とか本当は思うのだけれど、なにぶんあの筋肉むきむきKOTAさんだから、つい頼ってしまう。ありがとう。そんなんで、10時半ヒルトンロビー集合にやや遅れて到着する。みなすでに集合。すません。いきなり。なんかみんなの表情が晴れ晴れしてる。KOTAさんは眠そう(いつものこと)、私はすでに疲労気味(だめじゃん)
みんなでテコテコと大阪地下道をとおって、ビルボードさんへ押しかける。ここいいよね。大阪駅から、地下道ですぐの場所。雨がふろうとも、雪がふろうとも、関係なくいける。そう考えると、東京でこういう素敵なライブハウスに、駅直結でいけるところって・・・・あったっけ?
東京オリンピックも、こんな感じで、空港直結、駅直結で会場にはいれるといいのにね。それは未来構想か。東京の道路事情、大丈夫なのかな。海外から批判噴出しそうな予感するけど、もういっそうのこと、一般会社は、全員電車+歩き移動で、タクシーと業務用車両だけにするとか・・・オリンピック関係者も、全員タクシー利用。専用車とかなし。タクシー会社を地味に応援してみるGAYOであった。
とまぁそれは、いま話すことではない。
ビルボードに入ると、すでに照明やらもろもろスタッフが動いている。「今日は1日、どうぞよろしくお願いします」ご挨拶のあと、サウンドチェックの準備を開始する。
受付周りもみなおまかせ。GAYOは一度も顔をだす暇がなかった。安藤樹里さんの「夢」をテーマに今回書き下ろした新作も、私のポスターと並んで大きく展示されてました。
【サウンドチェック】
どんどん作られていく音バランス。なにより、モニターからでる音がすごくいい。メンバーに1つずつモニターが配備されてるのもいい。抜群の音環境の中、サウンドチェックを兼ねて、プログラム最初からリハーサルをしていく。といっても時間がないので、適当にすっとばしつつ。
今回のプログラムは、隠れ命題が「箏の可能性」「箏の展望」ということなので、GAYOの楽曲たちのなかからも、様々な編成を並べてある。ということは、必然、全員で演奏する楽曲は少ないということね。全員で演奏するのは、「Sprite」と、アンコールで一般参加者がまじる「Wassail」の2曲だけという。ふたあけて、びっくり。あらまぁ。
そんなこんなで順調に・・・ちがいます。おしおしのおしまくりのリハーサルが終わりました。ビルボードさん、やきもきしてただろうな。いつまでやるんだと。ほんとよね。私も反省。サウンドチェックだけでよかったのだけど、あまりにサウンドが気持ちいいもので。GAYOのせいでございます。と、リハチェック終わったあとに、きづいた。
十三絃箏のリハーサル、サウンドチェックしてないやん・・・・。
こうして、いつものように、自分のソロのところだけ、チェックしわすれるGAYOであった。慣れたよ。もう。あとはお客さんがどんどん入ってくる。入ってくる。なんと「338名」満席。うっきゃー。しかも、大阪公演初めてなので、初めてのお客様338名・・・うっきゃー。とおもいきや、みしった顔が1つ。いつもいつも、昔から応援してくれてるファンの1人がいらっしゃった。びっくりした。ありがとう、益江さん。
サウンドチェックの様子のダイジェスト版を、
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【本番直前】
GAYOは何をしていたか。それが、いつもと同じ。
リハ終わって、もろもろ荷物整理して、調絃(チューニング)をステージでして・・・。もはやひっこめて調絃する時間すらなかった。調絃終わったら着替え。大阪公演では、1部はなんと「和服」だったのである。珍しい!(=東京公演では洋装=)着替え終わったらもう開演時間となっていて、なにも口にせず、そのままステージへ。
たしかに、控え室にサンドイッチやら、お菓子やら、いっぱいあったのは目にしたけれど・・・結局これらとは最後まで縁がなかった。
そうとうにおいしいサンドイッチたちだったらしい(Yuriさん談)
【大阪公演:第一部】
はじまった。いやー、広くて素敵なライブハウスだった。気持ちよかったよ。最初でていったときの感触。暗くてお客様の顔はよくみえないけれど、満席なのは知っていたし、実際満席だったし、あぁ、箏のライブにこんなに人が集まってくれるなんて、幸せ〜。やや緊張気味にみえたかもしれませんが、GAYO本人はこんな感じでステージにあがっておりました。演奏する前から最高の気分でした。ありがとう。
Non-Programでまず続けて3曲。
・みだれ
・春の海
・瀬音
やっちゃいましたね。十三絃箏の演奏。どうよどうよ。GAYOも十三絃箏、案外上手に演奏するんだぜ・・・的な思惑でやったわけではなく、これから始まる本編の二十絃箏との違いを、説明なしにわかってもらおうかなという。
十三絃箏の古典、八橋検校作曲「みだれ」。すでにGAYO風の仕上がりになってますが、いかがでした?箏の世界もまた、心の奥まで響く素敵なものでしょう。
宮城道雄作曲「春の海」。「みだれ」にしろ、「春の海」にしろ、べたべたの有名曲ですが、まぁ、そういう選曲のほうがいいのかなと思いまして。もちろんこれもサービス曲です。これなら知ってる?っていうお茶目なGAYOの心意気でした。フルートがやばいでしょ。尺八じゃないのに「春の海」らしいというか、うまいんだよね、鈴木さん。音色の幅がありすぎる。フルートってこんなにいろんな音色でるものだっけ?と本編を予感させる素敵な演奏をしてくださいました。
同じく、宮城道雄作曲「瀬音」。一度、銀座TACTライブのときに御披露目しましたね。といってもここは大阪か。利根川の水流を描写したとされる名曲で、十七絃という低音箏と、十三絃箏の二重奏の傑作ともいわれている。十七絃の奏者の方が、なかなかGAYOの周りによってこないので、今回も、チェロの太雅さんに頼んでみた。洋楽の人からみたら簡単でしょう?とおもいきや、案外難しいらしい。音の飛び方が・・・・・だそうです。ご愁傷様・・・ちがう。雰囲気が良く出ていたと思います。よい演奏でした。太雅さん。ありがとう。参考までに、子供のころは、もっと早いスピードで演奏しておりました。多分。どうも、40歳を超えると、あのころの「わんぱく演奏」ができなくなっているようで・・・。あんな感じでご勘弁ください。曲の美しさは伝わったかなと思います。カットをしようと試みましたが、どこもカットできず、前2曲と違いこの曲は、ノーカットでお送りしました。
さーて。十三絃のよさを聴いてもらったところで、ご挨拶、そして、本編開始。
1.零雫
やりましたよ。ギターの方がいたら、二重奏でご披露したのだけれど、一応「オリジナル箏ポップ」もあるんだよという、やっていたんだよという、アピールです。十三絃3曲のあとだったので、落差を最大につけてみた選曲です。曲目解説は、プログラムに書いたとおり、また、違う解説文は、WebのDiscographyのCD「零雫」のところにあります。ご参考にどうぞ。そして、この曲を演奏するのは、何年ぶりだろう。生ギターと二重奏したかったかなー。でもHIROKIさんの作ってくれたバックトラック音源が、大河ドラマを彷彿とさせる仕上がりになっている(CD「零雫」音源)ので、気持いいんだよね。このころだもの。コード(CODE)ということを教えてもらったのは。コードの移り変わりで、サウンドの色が変化するのをレクチャーされた曲がこれです。中間部、メロディーが同じなのに色がかわっているのは、コードがかわっているからなのであります。楽しいでしょ。
2.北のオアシス
シーク・ケーナに書いた、笛と箏の二重奏を、フルートの名手、鈴木さんが名演。いやー、ほんと、鈴木さんのフルートすごいわ。ドイツ仕込みのフルートすごいわ。ドイツの威厳だわ。もともと木管楽器とはいっているものの、現在は基本金属で作られているわけで、それなのに、あんな暖かい音を出してくれるなんて。というわけで、安定の完成度で、GAYOのクラシカルスタイル二重奏編の口火を切ってもらった。いつもありがとう。
3.夢幻〜組曲「夢幻」から第一楽章〜
これは何度か演奏しているし、演奏依頼もくる組曲「夢幻」の第一楽章。このへんのCD収録作品は、Webのあそこに全部解説あるので、興味あるかたはどうぞ。今回のプログラムは余剰がないので、これなかった方には配布できません。由莉さんの独壇場というか、みなさま気づきました?由莉さん、「暗譜」でやってくれたのよ。うれしいね。演奏している姿、よく見えたでしょう。あれ、そういえば、譜面台って脇にずらした?GAYOは気づかなかったっす。自分は譜面台おいてないもんで。大阪ビルボードに響き渡る、美しいヴァイオリンのイントロ。いいねー。GAYOいい曲書いたね。自画自賛モード突入。まてまて、ヴァイオリンの由莉さんのおかげだ。ありがとう。
4.和彩魂(わだみたま)
昨年7月に書いた新作が、昨年10月にも演奏され、そして今回と、なんと出来上がってからすぐに3連続公演に登場。どこまで続く、和彩魂人気っ!ヴァイオリンと箏の二重奏曲を、10月にカルテット形式に編曲したものを、今回演奏。メンバーは同じなのに、出来がかなり違ったでしょう。やればできるじゃない。紀代子さん、太雅さん。なんてね。やればできるどころか、大変すばらしい演奏でヴァイオリンと箏を支えていただき、おふたりには感謝です。ありがとう。由莉さんはいつも余裕で演奏してましたね。(そういえば初演から3回続けて演奏してもらってるのでまだ他のヴァイオリニストが演奏していないかも・・・)
「和彩魂」のライブ映像を
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日本画の安藤樹里さんが、今回書き下ろした「夢」をテーマにした新作と、GAYOのCDジャケットの絵についてのトークを少々。
5.刻の忘れ物
ついにピアノのKOTAさんが登場だよ。彼の指先からほとばしる繊細なクリスタルのような音色は、もったいつけて、重役出勤。というわけではないけれど、GAYOが個人的にお気に入りのこの楽曲をここにいれたかった。作ったコンセプトも好きだし、メロディーも好きだし、このトリオ編成、男3人、人生たまには立ち止まってみよう・・・てきな。名演だったと思います。ま、チラッとGAYOがやらかしたところあったけれど、何事もない顔して・・・・演奏を続けていった3人であった。そういえば謝罪してなかったかな。すまんかった・・・KoTaigaさん。
6.Brilliant Star
うっへっへ。1部最後に「オリジナル箏フュージョン」をもってきた。最初の「オリジナル箏ポップ」とサンドイッチ形式にしたのであった。いろいろ挑戦したんだなーと。しみじみ思う。最近はクラシカルスタイルになってるので、「零雫」とともに、ほとんど演奏されなくなった楽曲の1つではあるが、この曲もなにげに人気曲で、終演後、とあるお客様から、「この楽曲のはいってるCDはないんですか?」と尋ねられた。この楽曲はCD「Crossing the Time」というものに音源が入っており、このCDは廃盤となっていて、手に入らないのであった。GAYOも手に入らないのであった。が、せっかくのお申し出なので、なんとかしてみようと思うGAYOでもあった。中道さん(みっちー)が、暇になってくれたら、オリジナル箏フュージョン系の作品もまとまって完成させられるのだが、忙しい人だからなぁ・・・・上手だし。うーむ。
〜休憩〜
休憩中は、GAYOは、後半の調絃と、着替えで・・・・あっという間に。うーむ。サンドイッチわずかに残っていた記憶もあるが・・・食べてる余裕なし。うーむ。本番中にダイエットしてどうする、GAYO
7.さくら幽玄
この曲のファンの方、おまたせいたしました。10月やろうかとおもったのですが、棒アシスタントさんが一言「いまは秋です」(いいやん、いいやん)。というわけで、GAYOソロ曲の中から、今回はこれを選曲いたしました。これは、あれよね。あれ。GAYO人生で最大に落ち込んでいる、「あの時期」に書いた1曲目。精神犯されている暗い時代に生まれた。でもいい曲でしょう。演奏するの簡単だけど、いい曲でしょう。そして、今回はこれに、「本物のコラボ」をみせたくて、「中西舞さん」に出演をお願いした。文章じゃかかない。かけない。感動しませんでした?彼女に。パフォーマンスというのはどういうものなのか、ステージに立つということはどういうことなのか、本当のプロとはなんなのか、表現者とは・・・そういういろいろなことをみなさん考えませんでしたか?生き様がGAYOとすごく似ている舞さん。出会って4ヶ月でこの大きなライブに出演依頼するほど、ステージに対する姿勢やら、芸術に対する想いやら、もろもろが一致した人です。「さくら幽玄」の曲が、もはや「BGM」になってもいい。そんなコラボレートでした。舞さん感謝。ありがとう。
さて、書と踊りそして箏のコラボパフォーマンス中、GAYOが何を思っていたのか。
演奏しながら、舞さん綺麗だなー、よくかけるなーなどと余裕もってみておりましたが、途中で舞さんが、踊りながらGAYOのほうに近づいてくるではないですか。お、新振り付けか?新演出か?サプライズか?なんて呑気に演奏していると、さらに舞さんの顔が近づいてくる。色っぽい!とGAYOが思ったくらいですから、お客様も、「近い、近い」とか思われたことでしょう。そのとき、舞さんはGAYOにこうつぶやきました。
舞:GAYOさん、筆(ふで)は?
GAYO:・・・・袖(そで)
「ふで」と「そで」、見事に韻(いん)を踏んでいる。マイクパフォーマンスしてもよかった即興のコント・・・ではなく、そう、GAYOがあの「すばらしき点x3」を書いたあと、筆もったまま控え室にいっちゃったのね。舞さんピンチ。書く筆がない・・・・GAYOのせいだ。あっはっは。わたしは何食わぬ顔で、演奏をゆっくりめにしておりました。振り付け構想がずれずれになってしまったのに、最後きっちりあわせてくるあたり、GAYO・・・じゃなくて、舞さん素敵、最高、ありがとう。そして、すみませんでした。
さて、ここからは、今回GAYOがやりたかった「お祈りTIME」
ろうそく灯して、今生きている喜びと、亡くなった方への追悼と、いま世界中で苦しんでいる方々へのお祈り。様々な想いを込めて、4曲続けて演奏しました。いかがでしたか?
8.月の光
9.Memory
10.月光の煌き
11.祈り
バラード4曲どーん。16分間のお祈りTIMEでした。お客様、お付き合いくださりありがとうございました。ここ7年くらい熟成したトリオ演奏でしたので、安定も安定、ド安定の演奏だったかと思います。箏って、こういうバラード系、とても美しいとおもいませんか?お好きな曲ありましたか?
Non-Programの「コインの曲」がここに入る。これもGAYOからのサービス曲。
そしてまさかの手拍子が・・・うれしい。
トリオ3人、感動・感激しました。KoTaiGayoが、1番笑顔で、そして1番力をいれた楽曲が、これだったかもしれません。大阪のお客様のノリがうれしかったです。おかげで、GAYOがいつもより3枚ほど多くコインをGETしました。
12.大地
珍しいですね。って昨年10月に御披露目して、大変好評だったので、今回はここにパーカッションとフルートをいれて再登場。今回もよかったんでないかい?パーカションの岡村英さんも、この楽曲好きらしく、楽しそうに演奏してもらった。ちょっとガチガチな顔だったけれど。あはは。ありがとうございました。フルートの鈴木さん、北のオアシスと同じ作曲者が、同じようなコンセプトで書いた類似曲なのですが、もうしっかり大地の響き渡る魂の音を・・・・表現してくださいました。ありがとう。そこに加わる弦楽3人。ヴァイオリン由莉さん、ヴィオラ紀代子さん、チェロ太雅さん。すばらしい。パーカッションチェロで頼む、とかリハーサルのときからわけわからんこといってすみません。結果は、そういうことだったのですよ。チェロの可能性と表現の幅というのを、みせたかったのだ。ほら、なんだかんだいって、わたしチェロ好きだし。今回、他のメンバーが5曲、6曲のところ、チェロの太雅さんだけなぜか・・・・(数えないように)ありがとう。私も楽しかったよ。この曲。昔に作ったシンプルな曲だけど、演奏するたびに、自分が生きているということを実感するし、MCで話したような奥深い想いがあったし、なにより、みんながこの新しいアレンジを楽しんで演奏してくれたのがうれしい。きっとお客様にも伝わったとおもう。ありがとう。
13.Sprite
定番のラスト曲。うん。うん。ごめんなさい。中間部、面白かったね・・・・GAYOが破綻してた。というかすっかり忘れてた。詳しく書くとばれてしまうから、ダイジェストに。
ま、問題は二日前の大阪「魚民」で、バーシアさんライブ後の興奮の中、急遽書き足したアドリブ構成に問題があった。
(さて、そのシーンを再現)
音がぬける。。。
GAYO:(ん?なんでだれも音ださないんだ?)
GAYO:(チェロの太雅さんをみる)
TAIGA:(GAYOをみる・・・なんかいいたそうな目をしていた・・・)
GAYO:(ヴァイオリンの由莉さんや、ヴィオラの紀代さんをみる)
YURI&KIYO:(GAYOをみる・・・なにかいいたそうな目をしていた・・・)
GAYO:(ピアノのKOTAさんをみる)
KOTA:(何か言いたそうな目をしながら、ピアノを鳴らしている)
GAYO:(はて?ここにピアノあったっっけ?)(はて?)
・・・・・・・・・・・
(パーカッションの岡村さんもがんばって、4ビート叩いている)
GAYO:(うーむ。この空白はなんだ?なにがおきた?・・・・まさか、・・・)
GAYO:(私だ)
・・・・・・・・・・・
ここで、GAYOの記憶は途切れます。脳内高速回転して、2日前のことを思い出す。そうだった。自分で書き足して、音が頭になっていたけれど、直前すぎたんで、自分で演奏するようにしたんだった・・・・てっきり、誰かが音出し忘れているのかと思って、見渡してしまったではないですか。私だった。原因も、結果も、、、すべて私だった。すまん。
この記憶がすっとんだ間に、GAYOがラップしてたらしい?(うそだー)
GAYOが「ワンツースリーフォー」とかいってたらしい?(うそだー)
演奏しないでマイクパフォーマンスしてたらしい?(うそだー)
恐ろしいので、今後Upするであろう大阪ライブの動画は、編集してカットしておきます。あまりに「GAYOの汚点」すぎる「黒歴史」に刻まれた「Sprite」となりました。
そんなわけで、素敵なライブも終わりを迎えました。この時点で時間はすでにオーバー。熱気はむんむん。いいお客様たちだった。初めて箏のライブを聴いた方々ばかりなのに、最後まで楽しんでいただけて、GAYOはうれしく思います。後援してくださった藤本夢グループ様、サポートしてくれたメンバーのみなさま、素敵な会場を提供してくださったビルボード様、そしてなにより、この時間を共有していただいたお客様のみなみなさま、心から感謝いたします。ありがとうございました。
時間はなかったけれど、強制アンコールへと突入。
「Wassail」(わっせいる)
でました、定番のアンコール曲。メンバー全員+ギター、サックス、Tin-Whistle。
アルトサックス:衣笠翔太さん(フジモトゆめグループより)
アコースティックギター:小崎昭洋さん(フジモトゆめグループより)
Tin-Whistle:市村彩さん(普通の会社員)
今回、アンコールに参加してくださった3名に「感謝」
ギターの小崎さんは、激ウマでしたね。瞬間的に、Wassailがポップス味になりましたものね。ありがとうございました。
サックスの衣笠さんは、前日のリハーサルにもお越しくださり、お手間をかけました。移調譜があっててよかった。譜面作るのも楽しかったです。次の機会がありましたら、こりずにまた。
Tin-WhislteのAyaさん、1800円でネットで買った笛でよくぞ頑張った。そして、ビルボードのステージにちゃっかりのっちゃって・・・おめでとう、そしてありがとう。
こんな感じで、今後ともどうぞみなさまアンコール参加してください。帰りがけのお客様数名から、参加すればよかった。参加する勇気を次回こそ・・・などなどお声をかけていただきました。楽しみにしています。音楽を楽しむという点においては、プロもアマも、素人も、まったく関係ありませんので、できる範囲の譜面を作らせていただきます。どしどしご参加ください。
最後の「Wassail」、明るく楽しく、盛大に終わりました。なんか演奏しながら、感動しちゃったよ。心の中でうるうる。GAYOの幸せな時間が終わりを告げようとしています。音楽やっててよかった。素敵な音楽家たちに囲まれる人生でよかった。素敵なお客様たちに聴いてもらえて、思い残すことはもうない・・・いやいや、東京公演あるし。まだあるし。記念ライブですので、長い公演となりましたが、どうぞご容赦ください。箏という楽器の可能性、感じていただけましたでしょうか?
さぁ、一気に片付け。公演時間が長かった分、撤収いそげー。GAYOは動けず。みんな頼む〜。音楽ってほんといいよね。
【打ち上げ】
大阪公演打ち上げがすぐに「ちゃこや」さんというたこ焼き屋を貸し切って行われた。
うちのアシスタントさん、いか・たこ系は普段まったく口にしないのだ。東京の六本木ミッドタウンのそばに「銀だこ」があるのだが、そこによるときなんぞは、章魚だけ私がもらえる。うっはっは。章魚2倍。わたしはうれしい。でもさ、いってしまえば、「たこやき」じゃなくていいんじゃね?ただの「やき」で・・・・。「やきくださいーい」これでいいんじゃね?
なんていう前フリがあっての、ちゃこやさんなわけで、GAYOは、いろんな人と御礼をいったりお話をしたりで、食べてるつもりが、10個くらいしか食べられなかったみたいな・・・そんな状況で、ふとアシさんのところにいって、章魚だけ食べてあげようと「たこは?」ときいたら・・・・・・食べられたんだってさ!ちぇっ。どういうことよ、それは!!それは章魚に秘密があったのだった。その答えは・・・・
大阪人がすすめる「たこ焼き屋」:ちゃこや
章魚の秘密は、食べにいって店主に直接聞いてください!
GAYOもイチオシ。ぜひ大阪お寄りの際は、洋食屋「キートス」さんと共に、ご試食あれ。
打ち上げには、なんと、プロレスラーのボディガーさんと、シンガーソングライターのSAYAKAさんもいらしていた。お二人とも、私のライブに感動してくださったようで、GAYOはうれしい、メンバーもうれしい。とにかく間近でプロレスラーさんと話をするのは初めてだったし、その筋肉たるや。
KOTAさんの筋肉をここ数年、男として、うらやまし・・・すごいなぁ、と眺めてきたわけだが、いやいや、本物の鍛え方は、そういう一般常識をこえている。あれは、なに?漢字にすると「肉塊」(にくかい?)。新曲のタイトルになりそうだ。人間の可能性というのを肌で感じた瞬間である。ただ触るだけでも貴重な体験をさせてもらったのに、さらになんと・・・・「
「ボディガーさんから水平チョップをいただけるお時間」
がやってまいりました。うそーん。トップバッターは岡村さん。ボディガーさんの「胸をはれ〜」の声とともに、胸を張り出す岡村さん。「何パーだ?」との問いに、「6%(ぱー)」と答える岡村さん。その瞬間、「バシッ!」うそーん。目の前で、6%のボディガーチョップが・・・・。いやまて、6%よ、たったの。6%でこれ?ボディガーさんいわく、100%だと、プロレスラーでさえ、死ぬことある・・・・威力らしい。その6%・・・・でこれ。試合では何%でやってるの?と・・・そこはきけなかった。
「ボディガーさんから水平チョップをいただけるお時間、Part2」
さすが大阪よね、「GAYOさんもやってもらいー」の周りの声とともに、私もお受けすることになった。ノリよすぎ、大阪!「GAYOさんは何パー?」悩むところ。目の前で6%の威力をみせつけられて、少なくとも、6%未満がいい。かといって、半分の3%とかいうと、東京モンをなめられそうな気がして、でた答えは、「4%」。「胸をはれ〜」さぁ、こいっ「バシッ!」なんというか、なんといえばいいか、一瞬、息が止まるのよ。ほんとに。声でないというか、何がおきた?みたいな。これは受けてみないとわからない。いやー、プロレスラーやばいでしょ。あんなの受けながら試合やってるなんて。
ここで終わるか?終わらないんだな。もうこうなったら、GAYOが推薦しよう。KOTAさんもやってみよう。というわけで、最後はKOTAさんの出番。「何パーだ?」「8%で」おぉぉ。KOTAさん、8%いった。いった。いった。「胸をはれ〜」「ばしぃっ」周りは「おぉぉぉぉ」。GAYOとKOTAさんが、ボディガーさんに水平チョップをいただいた兄弟の杯を交わした瞬間である。この感想はKOTAさんに是非伺いたい。どうだった?
楽しい打ち上げもおわり、メンバーは全員、東京へと帰っていった。GAYOはというと、だめです。疲れました。へとへとです。しかし、打ち上げでしっかり食べることができず、飲むのもちょっとだったので、飲み足りない。どうせ、今日は大阪宿泊だ(今日〜3日間、大阪第一ホテルさま、お世話になります)。明日の月曜日(2月2日)は、No-Plan、夜、岡村さんに、「なんば」で一緒に飲む約束だけしてある。それならば・・と、アシさんとまたもや、またもや・・・・あそこ「魚民」にいく。こんだけ連続でしかも夜遅い時間にいくと、店員さんにもばれているようで・・・・
店員:3日連続ですよね?
GAYO:えぇ!(元気よく)お世話になります
ぷっ。われながら、ぷっ。そこでビールやら、おつまみやら、いっとく。しかし疲労MAX。ホテルまでの短い距離すら面倒になってきたので、引き上げる。ちゃんと自分の足で歩いてますよ。アシさんもお疲れ様。ホテル帰ってゆっくり寝てください。
【まさかの魚民4回目】
と、夜道をてこてこホテルに向かってあるくGAYOとアシさん。みんないい演奏してくれたな。お客様みなノリよかったな。素敵な会場だったな。明日は一日寝るぞ・・・などなど会話して歩いていると、前方から、身体の大きな男性2人組が近づいてくる。およおよおよおよ?すれ違うかとおもいきや、話しかけられた。こんな夜中に?えぇ!
男性:NAMACHU?
GAYO:・・・・・?
男性:NAMACHU NOMEMASU?
GAYO:(もしや・・)Beer?
男性:Yeah、生中飲みたい(英語)
こんな会話だったかな。そう大きな男性2人は、外人さんだったのだ。いきなり「生中」といわれてもわからなかったのだけど、どうやらビールを飲みたいらしく、お店を探しているとのこと。どうも外人さんに話しかけられやすい体質なんだな。英語ほとんどできないのに。この近辺でビール飲めるところといったら、やっぱり「魚民?」
(ここから英語会話)
外人さん:おれたちさ、アーティストなんだよ
GAYO:すごいですねー
外人さん:明日、そこのビルボードに出演するんだぜー
GAYO:(な、なに?)私は、今日出演してたよ・・・
外人さん:(な、なに?)それはすごい。なんて偶然だ
GAYO:ありえない偶然だ
(ま、こんな感じだったかな、かたこと英語で会話してた)
GAYOもGAYOのアシスタントも、ほとんど英語できないけれど、これは魚民を案内するしかないじゃない?というわけで、魚民入り口まで案内する。そこで、「じゃっ!」とできるわけもなく、なんと4回目となる魚民の暖簾をくぐるGAYOであった。
店員さんの驚いた顔・・・(あきれた顔か?)少し前に帰っていった3夜連続できたへんな男GAYOが、またやってきたよ・・・しかも大きな身体の外人さん2人つれて・・・・。
お腹がすいているわけではなく、本当にビールが飲みたかっただけらしい。
どんなアーティストなのかと名前をきくと、「しーん?」「しょーん?」ヒアリングスキル低い自分に感動。もう1人のほうが「・・・」ききとれないので、すぐさまアシさんが調べる。バンドできてるらしく、バンド名が、「Level 42」(レベルフォーティートゥー)。検索検索。うお・・・本物だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/レベル42
サックスのSean(シーン)さんと、ギターのNathanさんのお二人だった。ネイサンさんは、ほとんど・・・寝ていたのか酔いつぶれていたのか、でも会話してるんだけど、やっぱり寝ていたのか酔いつぶれていたのか。移動してきたばかりらしく、宿泊は昨日私たちが泊まった「ヒルトン大阪」だそうで。そんな簡単にばらしていいのか?とも思ったけど、4人で魚民でビールを飲む。
魚民の店員:おつまみどうされますか?先ほどと同じお通しになってしまうので、4人分の枝豆にしましょうか?
GAYO:GJ店員さん。ありがとう。
というわけで、枝豆がきたわけよ。そこからはじまるシーンさんの独演会(英語で)
Sean:日本の枝豆はいいよね
Sean:イギリスの食べ物と違って、なによりクリーンだし
Sean:おいしいし。ヘルシーだし。食べにくいけど・・・
みたいなことをいっていた。GAYOが枝豆の食べ方実演をしたのだが、どんな食べ方でもよか。おいしいといってもらえるとうれしい。作ったのは農家の人で、ゆでたのは魚民の人だけれど。ビール一杯だけなのに(合計4杯だけの注文)、結構話したかもしれない。アシさんがイギリスいったことあるので、その話でも盛り上がっていた。地名がわからないGAYOは、なんとなくしかわからなかったけど、西のほうの湖の地方に観光するとこがあって、そこいいよねとかそんな内容だった気がする。(あくまで気がする)
レベル42というバンドを知らないので、どんな音楽なんだ?ときいたりして盛り上がっていると、となりでほぼ沈没しているネイサンさんを指さして
Sean:こいつギターとボーカルやってるんだ。うまいぜー。なぁ、おい(ばしばし)
Nathan:(痛くないのだろうか)(眠そうな目をあけて、てきとうに返事していた・・・)
Sean:よかったら明日こないか?遠慮するなよ。ゲストで招待するよ
お言葉に甘えます。明日の夜のプランをちょい変更して、お伺いいたします。またもやビルボードさんへ。(しかし、酔ってて覚えているのか?)(そこはアテにしないでおこう)
後半、Seanさんの、なぜかいきなりフランス語で何かをのたまわっておりましたが、そこはヴァイオリンの由莉さんがいなかったので、内容はわからず。酔っ払いがなにかいってる・・・程度にきいておりました。
そんな楽しい時間も、ビール一杯ではあっという間にすぎ、店を出ることになる。掘りごたつ式の居酒屋個室の「魚民」ではあるが、シーンさん、ネイサンさんの体格だと、・・・・・すっぽりはまりすぎて、でるときに苦労していた。うはははは。でかいのもこまるね。うはははは。みなで笑いながら、なんとか脱出。ビール4杯分は、GAYOがおごっておきました。
外にでると、寒いんだな、これが。そういえば、最初道で出会ったときに、GAYOが薄着してたら、
Sean&Nathan:oh strong man ...
とかいってたっけか。どうやくすんだ?鉄人GAYOか?神GAYOか? いやいや、ふつうに「さむくないのかよー」でいいのか?うはは。適当に会話してしまったけど。ついでにその時に、
Sean:How old are you?だったか、what's your age ?だったかとにかく年齢きかれたんで、45歳よ、と応えたら、これにはかなりびっくりしていたらしく、
Sean&Nathan:20代かと思ったよ
うはははは、うははははは。若くみえるのはKOTAさんだけじゃないぜー、うはははは・・・・。と喜んでいるGAYOの横で、アシさんが一言
アシ:外人さんからみたら、日本人はみんなそうみえるんです
ずばっ。その通り。いいやんいいやん。とまぁ、そんなわけで、寒くないんか?とまたつっこまれつつ、エレベーターで下におりると、そこにはあの店があったのだ。
Sean&Nathan:Oh Family Mart
なに?外国にもあるのか?有名なのか?意気揚々と中に入っていく二人を見送ってお別れした。明日待ってるよー・・明日いくよー。
そんな感じで、GAYOの大阪公演の一日は幕を閉じるのであった。
回想録第四章:大阪滞在編
GAYO KOTO LIVE 2015 大阪公演終了後、間違いなく、身体・精神、両エネルギーを消耗していると予想していたGAYOは、その日に東京に帰らず、またもや大阪第一ホテルさんにお世話になった。先にいってしまえば、このまま土曜日7日の東京公演前日まで大阪で鋭気を養いたい思いが強かったのだが、4日(水曜日)に、都内でレコーディングを依頼されていたので、ぎりぎりの4日(水)昼まで大阪に滞在することにした。そんな大阪滞在編、ライブの番外編です。
ご興味ないかたは、ここで終了。暇で、読んでやろう、大阪公演終了後になにやってたんだろう?東京公演前ってなにしてたんだろう?そんなところに興味をもったあなたは、ここからが本編となります。
【2015年2月2日(月)】
まずは、前日の本番深夜の、レベル42のメンバー「Seanさん」「Nathanさん」との出会いにより、夜の予定が決まる。大阪なんばの夜の徘徊は、その後にずらしていただき、とりあえず、18時半からの「ビルボード大阪さん・レベル42公演」が確定する。
さて、さて、日中どうするか。別に、何もしなくていいのだけれどね。どうせ激疲れているし。まったりしてるし。寝まくってもOKだったのだが、せっかく大阪にいるし、今回、大阪公演を盛大に盛り上げてくださった「フジモトゆめグループ様」の本拠地、「藤本眼科」さんにいってみるか!ということになり、夕方17時のアポで、伺ってみる。大阪の地理には疎いのだが、ここは電車でしょう。乗ってみる。環状線が、東京の山手線みたいに綺麗にぐるぐる回っているわけではなく、どちらかというと、丸の内線っぽい印象を受けたのは、おいておいて、大阪からちょうど反対側?の天王寺のちょい先まで足を運んでみた。
あった。「藤本眼科」。ほんとに眼科だった。というか、初めてみたので、ぷち感動。毎日こうやって働いている藤本先生を始め、みなさまが、当日お手伝いしてくださったのだなと。患者さんの目もあるので、裏導線からコソコソと院内を案内してもらう。うーむ。みな働いている。惚けた顔のGAYOが、のっそりとご挨拶。テンションの違いに、申し訳なさ87%。みなさま、本当にご協力ありがとうございました。みなさまのHELPあってこその大阪公演でした。心から感謝します。
さて、私も、藤本様も、藤本眼科にゆっくり滞在する時間もなく、いそいそと、退出。みなさま、お先にっ!
藤本様は会議があるとのことで、とおりみちなのであろうか(本当は、とおりみちじゃなくて、遠回りしてくださったのを知っている)、帰りはビルボードさんまで送ってもらった。例のポルシェで。このポルシェは、以前、KotaさんとTaigaさんと乗せていただいた・・・・アレです。いいですよね。乗り心地が、ヤバイ。そして、何度も、ポルシェに対して「フェラーリ」と間違っていたのは、GAYOです。どうもすみませんでした。一応言い訳させてください。Studioのある代々木上原、フェラーリがそこらに駐まっているのよ。特に土日になると。といっても、交通ルールがかわってから、コインパーキングとかでみかけるようになったけれど。他の車、隣に駐めるとき緊張しないのかな。それで、かっこいい車、フェラーリとインプリンティングされているGAYOなのであった。あとは、「CARS」というディズニーのアニメかな。その中で出てくる台詞「Oh, 本物のフェラーリだよ」が印象強く、あれでフェラーリ=格好いい、という印象が。いやいや、そういう話はいい。とにかくポルシェ最高!
(ベンツさんのイベントで演奏したときは、ベンツ最高でした)
(SUBARUさんのイベントで演奏したときは、SUBARU最高でした)
(TOYOTAさんのイベントで演奏したときは、TOYOTA最高でした)
実際乗ってみて思ったこと。
「ポルシェの中で生活できるかも・・・・」
快適すぎて。
・・・・・なにか間違っている。
さてさて、お時間はもうビルボードタイム。開場時間の18時にいってみる。
前夜、酔っ払っていたからな、あの2人。そして、英語でちゃんと会話できてなかった気もする。
案の定、ビルボードさんに伝わっていなかった。まぁ、昨日の縁もあるから、ゲスト扱いじゃなくても構わなかったのだけれど、確認しますとのことで入り口で待つこと20分。ようやく確認がとれたのか、中にいれてもらった。場所はなんと、3日前にいったときと同じ後のカウンター(観やすい)。待っていた分、開演時間間近となってしまい、あわてて料理を注文する。「うに系のパスタ」と「アンチョビ系のピザ」(メニュー名覚えていないのと、写真をとってない)。うまかった。うまかった。うまかった。3回いっておく。おいしかった。さすが、ビルボードマター。最高です。
「レベル42」。3日前の「バーシア」と同様、バンド系、英語系。あの酔っ払いアーティストたち大丈夫かね・・・。とおもいきや。格好いいじゃないですか。散々おしゃべりしてたSeanさんは、うしろでサックス吹いてるし、コーラスで参加してるし。ましてや、ほとんど酔っ払ってるのか眠っているのかしていたNathanさん、前でギターひくは、歌うわ。どうやらこのバンドのリーダーは、ベースの人で、メインボーカルらしい。やばいね。このサウンドも。バンド形態なので、GAYOとしては、最後まで同じような曲にきこえてしまうのであったが・・・(やっぱり)
やはりプロのステージは凄いと思う。もちろん、全員暗譜。やっぱりね。譜面おいておけないよね。これもグループだからなんだろうね。GAYOはグループ形式じゃなくて、サポートしてもらってるスタイルだから、暗譜してと強くいえないんだよね(いってるけど)
後にいたのは、Sean(サックス)さんと、トランペットさんと、トロンボーンさん。金管3人がいたんだけれど、これが、ほら、ずっと演奏しないじゃない?アドリブ以外は。「ぱっ」とか「ぱふっ」とか「ぶーーーはっ」みたいなアクセント的に入っているのが多いじゃないですか。そのうちこの3人が、うしろで3本たっているマイクの周りを、ぐるぐると・・・ぐるぐると回りながら演奏していたり、みていて面白かった。あれだけ全員が余裕もってやるステージって、曲しらなくても、楽しめるというか、完成度がかなり高い。GAYOも、こういう高みを目指していかねば。目指しているけれど。音楽の力は言葉いらないね。あらためて凄いと思った。
招待してくれて、ありがとう。Sean、Nathan。(覚えてないだろうけど・・・)
楽屋はいけなそうだったし、私も予定あったので、メッセージだけ残して、ビルボードを出る。出るときに、前日にお世話になったビルボードの方から
「GAYOさん、昨日はよかったですよ。俺、あぁいう音楽好きです」
この一言、うれしかった。こういう一流といわれる人たちを毎日みている人に、「好きだ」といってもらえた。アーティストとして、そりゃいいものやってると思っているし、多分、日本の箏の世界では、1番いいものをやっていると思っているけれど、それを外部の人にいわれると、ほんとうにうれしい。ありがとうございます。リハ時間おすし、本番の時間はおすし、迷惑かけっぱなしの大阪公演だったので、なおさら。
こうやって地道に、箏の世界の評価があがっていけばいいなと、活動をのんびりと続けているGAYOです。さぁ、箏の人、これで大阪ビルボード、箏OKよ!
さて、ここからは、いそいそと「なんば」へ。
「フジモトゆめグループ様」から特別出演してくれた「岡村さん」が、仕事帰りに「なんば」を案内してくれるという。要するに、「岡村さんお疲れ様でした打ち上げ」ですね。
梅田からなんばへ一本。大阪ってコンパクトで便利よね。どこもすぐいける。東京も慣れればどこでもすぐいけるけど、初心者に厳しい・・・。あ、でも東京人のGAYOからみると、なぜに、なぜに、「東梅田」「西梅田」「梅田」「大阪」同じ場所に、いろいろ名前の違う駅があるのだろう。不思議。「◎◎線大阪駅」でいいと思うのだが・・・ここは大阪人のこだわりなのだろうか。大阪の人に、その理由をきいてみたい。
そして、「なんば」で岡村さんと合流。いきなり「立ち飲み日本酒」に案内される。そう、今日のテーマは「大阪のサラリーマンが仕事帰りにいくところ」なのであった。いきなり日本酒いくのか、大阪人は!(この時点で、今日はやばいか・・・と予感するGAYOであった。=お酒自粛モード突入)
日本酒の一升瓶が、カウンターからみえる冷蔵庫にどどーんと並んでいる。そしてわかりやすく、でっかく「500円」「900円」「2400円」などの値段もはってある。ほんと、わかりやすいわ。これはグラス1杯の値段かな。日本酒は好きだけれど、詳しくないし、翌日仕事があったり、やることあったりするとなかなか飲めない(日本酒とワインは、翌日に響く経験をもつGAYOである)ので、今日は、このいきなり日本酒に驚くも、おいしくいただく。うむ。おいしかった。おつまみも少々。そこで作っている。狭いカンターの中、効率的に作業している。後のテーブル(外に半分でている)の男性サラリーマン5人のグループの料理やらは、私を経由して、お届け。どういたしまして。
さぁ、次いこう。ということで、今度は、イタリアンバーだったか、スペインバルだったか、生ハムやらワインやらのお店。雰囲気は緑モスバーガー的なお店で、カジュアル気味な印象。そこで・・・まさかの「ワイン」。予感はあたった。これは、「日本酒」x「ワイン」のチャンポンではないですか。「禁忌」とされる組み合わせではないですか!岡村さん、強いな・・・お酒。そして楽しく2ndステージ開幕となる。わーい。
とにかく岡村さん、お疲れさまでした。「フジモトゆめグループ様」の御仕事しながら、今回のライブの印刷物系、打ち合わせやりとり系、そして、カホーン演奏まで。私じゃできない。正直できない。本当にお疲れさまでした。
という会話をしつつ、ワイン開始。が、隣のテーブルに出張できた四国からの男性サラリーマン2人がいらっしゃる。研修かなにかで大阪にきていたらしく、積極的に絡んでくるお人柄だったようで、一緒に飲み始める。あちらはスパークリングワインを、こちらはワインを飲んでいたわけだが、お互いにご馳走しあい、さらにチャンポン確定。
「日本酒」x「ワイン」x「スパークリングワイン」
(これはやばいね)私は最初から自粛モードに入っていたため、のんびりと飲んでいた。楽しく会話もはずみ、いそいそと3軒目へと。
今度は岡村さんいきつけの「BAR」だそうで。お洒落やの。そういえば、Studioのある代々木上原、BARはわんさかあるのだが、最近いってないな。ここ6年くらいに1回「コントンさん」に顔を出したくらいかな。そう、普段お酒飲まないGAYOである。特にStudioでは飲まない。外で食事するときの飲んだり、飲みに誘われたときに飲むくらいかな。
最後のこのBARでは、GAYOの好きな「ブラッディーシーザー」を頼む。クラマトあるかなとおもったら、しっかりあった。いいBARだ。そして小腹が空いたので、「ラザニア」を頼む。そう、ラザニアといえば、昔はそれほど興味なかったのだが、GAYOのアシスタントさんが「ラザニア」大好きなので、その関係もあって、ラザニアハンターとなっているのである。現状、第一位は、「Say Cheese」さんのラザニアです。さて、ここのラザニアはどうだったかというと、食べたのは私だけだったので、私しかわからないのだけれど、激ウマ。大阪うまいモノ多すぎる。超クリーミーなホワイトソース。とろり口の中でとろけるラザニア。これはやばい。GAYO的には、第一位を上げてもいいのだが、評価者が1人というのと、ラザニアがメニューからまもなくなくなるとのことで、選外となる。うーん。おしぃ。うまかった。
はてさて、なぜに、ラザニア好きなアシさんが、ここのラザニアを食べれなかったかというと・・・・あぁ、口止めされていたんだった。
あとはタクシーにて、いつもの「大阪第一ホテル」に帰宅。寝る。爆睡なり。岡村さん、ありがとうございました。
【2015年2月3日(火)】
この日は、あれです。大阪を楽しむDAY。1日休養したので、多少は動けるようになったGAYO。目指すは、「海遊館」ではなく、「UFJ」は銀行の名前なのでちがう、そう、「USJ」(ユニバーサルスタジオジャパン)なり。一度はいっておきたかったところで、せっかくの機会だし、のんびりと、疲労感漂う中、いく計画をたてていた。そして実行。
まず、思ったこと。大阪から近い。東京ディズニーとちがって、交通の便がよい。これは、プチ感動。気軽にいける。そして年間パスポートが、2万円しなかったような・・・・これって2、3回いったら元とれるじゃない?値段設定おかしくないか?せめて、10回分の7万円とかでもいいと思うのだが、こんなに安かったら、地元や近くの人、間違いなく「年間パスポート」でしょう?気軽にデートに使えるじゃない。土曜日合コンとかにも使えるじゃない・・・いいのー、いいのー。
そんな驚きを片手にいざ突入。入った瞬間・・・、アンケート調査にひっかかる(いや、協力する)。終了。
右も左もわからない。とりあえず、メインストーリー歩きつつ、最初の大きな十字路を左に。なになに?「Cool JAPAN」?なんぞや。とりあえずいってみよう。そしていきなり、ドーン。「モンスターハンターのモンスターの実物大模型」「進撃の巨人の実物大模型」おーう。おーう。迫力満載だのう。そういえば、MHF(モンスターハンターフロンティア)楽しかったな。またやる人いたら、ご一緒に1から「超のんびり」やってもいいよー。なんか、いまなら、HR(ハンターランク)99まで無料らしいよ。そして、そのそばでうっていた「アイルーマン、メラルーマン」という肉まん系を食す。最初にしたことがそれかい!GAYO。
大きな模型をあとにし、次なるは・・・そこから近かったアトラクション「スペース・ファンタジー・ザ・ライド」。初アトラクションがこれ。なんかジェットコースター的なやつで、怖くはなかったけれど、結構スピード速かった。暗い中・・・。うん。なんか宇宙を救えだかの使命を帯びて乗り込むのだが、最後の肝心のなんかのボタン押し忘れた・・・けど、もちろんそれでも無事にストーリーエンド。ぱちぱちぱち。なかなかですな。
そして、時計回りで移動しているGAYOの視界に入ったのは、「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン/ザ/ライド4K3D」。名前長いよ。要するに「スパイダーマン」。私はこの映画みてないので、あれですが、悪役かと思っていたスパイダーマンは、なんと正義の味方という設定らしい。日本語に訳すと「蜘蛛男」よ・・・これ悪役風でしょう。昆虫苦手のGAYOであった。そして、3Dというのが、GAYO苦手なのよ。眼鏡かけるのだけど、普段映画は、2D。3Dはやっているこの時代、2Dを選んで観に行っているくらい。でも、USJきたからには挑戦しよう。
感想?いやー、映像すごいわ。まじすごい。そして、うおー、とびでてくる。うそーん。っていう感じ。さらにさらに、4Kってなに?って思っていたら、あれだったのね、感触なのね。風きたり、水きたり、熱感じたり・・・・すごいね。時代ってここまで進んでいたのね。GAYOなんて、音楽、ただ箏を演奏しているだけなのに。いやー感動した。これはすごい。ぜひみなさんにオススメしたい・・・とこの時点では思った。ほんとに。
という初感動を胸に、次に向かうは・・・
そう、スパイダーマンの映像アトラクションに、酔ったGAYOは、映像系じゃないものを探す。そして「ジョーズ」きました。子供のころにみた映画が怖くて印象に残っているけれど、ストーリーは・・・あまり覚えてない。ジョーズは3までみたことあるけれど、どれも怖くて、だんだんリアルになってくるのだが、最初の映画が1番恐怖心を呼び覚ます。「エイリアン」という映画もそうだったかな。最初のが1番怖かった。あまり期待せずに乗り込むと、船頭さん(ガイドさん)がいろいろ演技してくれる。なかなかうまい。そして・・・・(内容はかかないでおこう)結果、なかなかに、面白かった。うん。映像で気持ち悪くならないのがいい。うん。悪くない!
さて、ここで休憩。軽く食事をとって、後半スタート。
人の流れにのっていくと、「ウォーターワールド」のアトラクションが開始されるらしい。これは劇場型アトラクションで、観客席からショーを観る感じ。うし。映像系じゃないので、OK。昔映画をみた記憶もある(ケビンコスナー)けれど、ストーリーあまり覚えていなかった。が、役者さんたちの演技がうまい。いやー、アドリブもきいていて、なかなかに楽しめた。もちろん、私は後のほうで・・・こっそりと観戦・・・もとい、観覧。最後におどろきがあったけれど、これもいってみてのお楽しみ。
そして、そして、お金にものいわせて、優先チケットとって、予約しておいた、本日のメイン「ハリーポッター」。やってきました。どんなのだろう。事前情報なし。そして、いってみた。雰囲気あるお城、そして・・・・そして・・・・。うおー、映像系だった。うおー。(内容は伏せておく)これ、「すごい」の一言。ほんとにすごい。オススメします。(でも、GAYOは映像系でやられた・・・)
まだ時間があったので、「バックトゥーザフューチャー」にも寄ってみる。そして、これも映像系・・・そして、、、、これが1番揺れた(気がした)。ノックアウトされました。カンカンカン(終了)。GAYOはフラフラ+気持ち悪さMAX。時間にして16時回った。
さて、最後の最後にとっておいた、「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」。1番のジェットコースターなのかな?基本、避けていたのだが、まぁ、最後にとおもって、16時半あたりに寄ってみる。これ、結構覚悟していったんだよ。ほんとに。乗りたくない想いと、USJきたからには、一度は・・という想いのせめぎ合い。(乗る気ゼロだったというのは内緒にしておく)とりあえず、いったことはいった。そしたら・・・
「受付終了」
の電光掲示板が・・・。いや−、残念。ほんとに残念。乗りたかった。ほんと、ほんと。いやー、しょうがないね。まさか、1時間半前に、受け付け終了って、どんだけ人気なんだろう。ふぅ。(一安心)
あとは、4日水曜日、東京でのレコーディングのときのみなさんにお土産を・・・・「ジュラシックパークカツ(お菓子)」。そう、ジュラシックパーク、この日はメンテナンス中で、Closedだったのだ。残念。おみやげも、なかなかおもしろく、いろいろみてまわったよ。買ったの、そのお菓子だけだけど・・・。次回来る機会があれば、「ジュラシックパーク」「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」「ハリーポッター」この3つをまず行くぞ、と堅く決意するGAYOであった。
のんびりとUSJをまわったので、そんなに疲労もなく、あとは精神エネルギーを東京公演までに充填しておく感じ。
そして、USJから最寄り駅までの道を歩いていると「たこやきミュージアム」なるものをやってた。昨日たべた「ちゃこやさん」おいしかったからなぁ。いかなくてもよかったんだけど、ここは大阪、やっぱり寄るか。みんなできてれば全部の店のたこ焼きを買って、シェアできるのだが、そうもいかず。1番入り口のたこ焼きやに入った。名前?忘れてしまったわ。ラジオ焼きとかいうのがあった店。感想・・・「ちゃこや」さんのたこ焼きのほうが、おいしかった。というと一言で終わってしまうのだが、何に例えようか。。。どっちも美味しいといえるのだが、そうね。500円ランチのパスタと、専門店の1500円のパスタの違い?(よけいわからんわ)
そんなこんなで、のんびりUSJ-DAYとなった火曜日であった。大阪最後の夜ということもあり、「キートス」と「ちゃこや」のハシゴを計画。USJの帰りに電車で向かう。うーむ。大阪からだと数駅ですぐなのだが、USJからだと、(慣れてないからか)2回かそこら乗り換えが必要だった。知らない駅をドキドキしながら乗り換えるのは、楽しいモノだ。はたからみたら観光客丸出しだっただろう。駅の標識をきょろきょろ探しながら歩いてる、サラリーマン風じゃない人間・・・。
3日前にお世話になり、2日前のライブにもきてくださり、そしてこの夜、御礼も兼ねて「キートス」へ。オムライスを食べたかったのだ。あのプルプルして卵がふわっと・・・なるオムライスを。そして、うまい。もうひとつ気になっていた「カレー」も食してみる。やば旨。これもどうなのよ。洋食屋さんって、ここまでグレード高いものだったのかと(すごく失礼な言い方ではあるが)感動した。そういえば、代々木上原にも、昔から1軒洋食屋あったな。もちろん普通においしかった。となりの代々木八幡にも昔からの洋食屋さんがあったな。もちろんそこも普通においしかった。だが、「キートス」さんで食べたときの感動たるや・・・まずいってみて。それしかいえない。シェフ:川岸健二さんと楽しく会話しながら食事するも、お店にどんどん人が入ってくる。平日火曜日の夜。繁盛してますの〜。デザートまでだしてくださり、予定外の満腹。あぁ、ちゃこやさんにいけない・・・。食べられない。断念する。
キートス(Kiitos):
http://kiitos-web.sakura.ne.jp
茶琥屋(ちゃこや):
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270203/27058203/
そして、さらに3軒目のはしご先として計画していた、大阪駅地下にあるであろう串カツやさん再び・・・も断念せざるをえなくなった。とにかくキートスさんで食べ過ぎたというか、お腹いっぱい。大満足。この夜はさすがに「魚民」はいかず。ライブ疲労がもちろん抜けているわけではないので、寝る・・・といいたいところだったのだが、そうはいかない事態がまたもや起きるのであった。
そう、明日4日水曜日、夕方5時から都内でレコーディングを頼まれているのであった。そして譜面がメールで届いていたのだ。大阪第一ホテルさんでは、ずっとノートPCを借りていたので、PCメールをチェックできたのであった。添付ファイルのプリントアウト(印刷)をホテルに頼むのだが、これができないそうで・・・・。。えーー・・・閲覧Onlyですか。うーむ。ちょっと思惑が外れてしまったが、まぁ、戦国IXAの秘境だしをぽちぽちできたのでよいけれど。そうなると、明日の譜面を印刷しないといけないじゃない?そりゃあっちにいけばもらえるけど、初見でサラサラと演奏できるほど、GAYOのスキルは高くないのだよ。そこそこは演奏できるけどね(一応いっとく)。前日に届いたのなら、やっぱり意地でもやっていかんとあかんと思うのよ。GAYOとしては。
そしてまたもや「魚民」の入っているビルの漫画喫茶・・じゃなくて、インターネットカフェ?にお邪魔する。割安パックの2時間。譜面のファイルごとに番号を入力しないと印刷できないので、ちょっとだけ手間かかったけれど、無事に全部印刷終了。いや、いや、まさかの4小節だけ・・・でも1枚50円かい!そりゃそうだ。
残り時間が1時間30分。ホテル帰って寝るもよし、だが、このまま滞在決定。久々にきたな、漫画喫茶・・じゃなくて、インターネットカフェ。ここはとても広いお店だった。スペース的に。蔵書も沢山ある。まぁ、朝までいるわけではなく、たかだか90分の滞在なので、本格的に読むというより、フリードリンク飲みながら、「天河」の作者のほかの作品ないかなーとか、おなじくFCのさいとう先生最近何かいてるのかなとか、ライトな方向で、ちらほら。そんなにはまりそうな作品には出会えず(そりゃちょこっとしか探してないからね)、それでもあっというまに90分経過。ありがとう。楽しめました。
今度こそ、ホテルに帰り、1日の疲れがどっと。1日だけじゃないけど。おやすみなさい。そんなこんなで、2015年2月3日(火)は終わるのであった。
【2015年2月4日(水)】
この日は朝から、ホテルの中で、昨夜印刷した譜面を練習する。すぐ演奏できそうなものもあれば、やっかいなものもある。メールに添付されていた音源は、残念ながらきくことができなかったので、曲調はいまいちわからないけれど、なんとなく、箏のパート譜から想像はしてみる。いろいろなパターンを。
練習に熱が入り、あっという間にチェックアウトの12時が近づく。うっそーん。自分で書いてない曲って、手こずる分楽しい。が、楽しい楽しいといってばかりもいられない。限られた時間の中で、レコーディング終わらせないといけないわけで。いまここで練習しておかないと、夕方、悲しい思いをするのだから。
そして、ギリまでやったあとは、楽器の片付け、荷物の整理などなど、てんやわんやのチェックアウトだった。といっても、荷物ほとんど送ったので、手持ちは二十絃箏+リュックサックくらいだけど。ありがとう、大阪第一ホテル。また次回もよろしく!
大阪でやりのこしたこと、お好み焼きやさん・・・これは、たこ焼きでカバーできたのでよし。あとは「立ち食い蕎麦」。たしか大阪駅の地下のどっかでみかけたんだよ。初日(金曜日)に岡村さんとうろついたとき、たしかに通ったんだよ。だけど、場所わからなかったし、新幹線の時間も、結局ぎりぎりになったので、楽器をもっての移動が困難だったこともあり、断念。大阪の立ち食い蕎麦・・・どんな味なのか興味MAX。次回こそ。
新幹線、お腹すいたGAYOとしては駅弁一択なのだが、どうもピンとくる駅弁がない。困った。非常に困った。困ったときは、車内販売の駅弁がいいのだ。理由は、種類が少ないから迷わなくてすむ。あきらめがつく・・・。そして、新幹線で大阪をあとにする。
車内販売で買うぞ、選ぶぞと意気込んで乗車したGAYOに、厳しい洗礼が。
「駅弁のご用意はありません」えぇぇ!!!うそーん。なんでないの。うそーん。まさかのサンドイッチ。そして、レコーディングに向かっているはずなのに、1本くらいはと、ハイボール。そして、例の「みかんアイス」。他にはホーム売店で購入した大阪限定味のお菓子類。これで東京までまっしぐら。とおもいつつも、やっぱり寝ますよね。くるときは全寝だったけれど、帰りは半寝かな。今度は品川手前で目が醒めたので、品川下車。東京駅でも問題はないのだけれど、楽器をタクシーで運ぶGAYOとしては、東京駅のタクシー乗り場使いにくいのだ。できることなら、品川で降りて、品川のタクシー乗り場を使いたい。新幹線改札から近いというのが最大の理由。あとは、タクシーがすぐ乗れる。東京駅は、ちょっとロータリーの構造が悪くて、人が一杯並んでいて、タクシーもいっぱい遠くに並んでいるのに、乗り場まで数台ずつしか入ってこれないという。バスも一緒なので混雑する東京駅より、品川駅、これオススメ。間違いない。
たまには参考になることも書くGAYOである。
さて、品川から直接レコーディングスタジオにいってしまうGAYO。ちょい早いかなと思ったけれど、そんなことはない。なんせ荷物の移動時間が通常時より2倍〜3倍かかるので、40分くらい前に到着。
ここでのエピソードも多いが、とりあえず、NHK京都放送の夜18時半と21時半のNewsのオープニングの音楽に入れる箏の音だったらしい。ありがたいね。自分でみることができないのが残念だけれど。今回の作曲者は、2015年元旦放送のNHKスペシャル「京都御所」の音楽を担当した川田さんである。ご指名ありがとうございました。このレコーディングのおかげで、疲労ボケしていたGAYOのスイッチが入り、3日後の東京公演へと切り替えができたのであった。
【2015年2月5日(木)】〜【2015年2月6日(金)】
ま、実質この2日間が、東京公演の事務方準備となる。
88席で満員御礼をしていたのだが、結果、オーバーして、席割り作業に費やされる。東京公演のArtCafeFriendsさんは、固定座席ではないので、またこれがオーバーしたとき設定しにくいのよ。だけど、もうしょうがないじゃない。一応座る椅子はあるはずなので、なんとかなるよ・・・的なGAYOを横目に、一生懸命予約人数と予約順を優先して、ついでに希望席も考慮にいれて、悪戦苦闘するアシスタントさん。がんばれ〜的なスタンスでいたら、なんとなくStudioの雰囲気が悪くなりつつあったので、私もいそいそと・・・・(適当に)忙しいフリをする。どうせこの2日間は、調整DAYなので、最初から最後まで2回くらい通せばいいのだ。怪しいところだけ、ちょいと戻す感じでいいのだ。気楽なもんだ。
ここで「気楽」といえるようになったのが、経験なのか人生なのか、自分が慣れたのか、上手になったのか。そう実感できること。20代までは、もう、本番前まで、下手すると、朝までいそいそ練習してたものね。いや、もう演奏できてるんだけど、なんかしとかないと落ち着かないというか。若かったね。あっはっは。心のゆとりがなかったんだろうね。私は今のスタイルが好き。準備期間はそりゃ、できるまで練習するし、できたあともブラッシュアップ練習するし、しかも人と合わせたあともさらに音源きいてブラッシュアップするし。でもね、直前でがつがつやってたら、本番余裕ないじゃない。(と思う)大阪公演は、本番直前に追加して変更したワナに自分ではまり、自爆したじゃない(笑)東京公演では、最後の「Sprite」をより簡潔に書き直し、しかも自分が手をださない、メンバーまかせにしたので、もう、、、気楽なもんよ。あとは、当日の「すっぽ抜け現象」が起きなければ大丈夫。起きたら起きたで、メンバーいるし、なんとかなる。最悪やり直せばいいのさ。
そのくらいのスタンスでないと、観ているお客さんたち疲れるだろうなと。なのでGAYOのコンサートやライブは、みな笑顔であたたかい。楽しいらしい。なのでリピーターが多い。ありがたいことです。感謝。
コンサートやライブは、1人でやると、ほんとにしんどいんです。面倒くさいというか。理想は音楽だけやっていたい。今回の大阪公演みたいに、ほんと、演奏しにいく感じが最高。演奏する以外のところが、実は90%あると思っているので、その9割をやっていただけた「フジモトゆめグループ」のみなさまには感謝しています。東京公演はこの演奏以外の「50%くらい」をアシスタントさんがやってくれた。自分でも「50%」くらいはやったと思う。それでも、チラシは作ってもらえたし、チケットも作っていただけて、プログラムも東京公演で使わせていただいて。通常業務の30%くらいのさらに50%なわけで、実質いつもの15%くらいの作業という、とても楽な「GAYO KOTO LIVE 2015」となったのである。
回想録第五章:東京公演編
2015ライブの回想録もいよいよ最終章。2月7日(土)に行われた東京公演当日の様子をどうぞお楽しみください。
第五章:東京公演編
そして、当日はやってくる。昨年(2014年)のこのライブ、東京は大雪で、関東からのお客様はほぼ全滅。地方からのお客様が10人ちょっとというとても悲しい現実となった記憶が鮮明に残る。今年は無事に開催される。
今回は、はじめて使わせていただくこの「Art Cafe Friends」さんの座席配置に苦労する。苦労したのはアシスタントさん。GAYOは早々に匙を投げて音楽のほうに集中した。
6日前の大阪公演での反省に修正を施し、いざライブハウスへ!
と、その前に、大阪から、「フジモトゆめグループ」の岡村さんが朝の新幹線でこられたので、ならばリハーサルしちゃおうじゃないのということで、13時から設定する。私1人でもなんなので、だれかこれないかなと声をかけたところ、予想通りの方がいらした。そう、ヴァイオリンの徳島由莉さんである。彼女は今回、チェロのパート練習にもパーカッションの居残り練習にも、すべて参加してくれた。心から感謝を。ありがとう。
どうせこられるならと、お昼前に、ヴァイオリンとの二重奏曲「夢幻」と、今回四重奏で演奏はするがもともと二重奏だった「和彩魂(わだみたま)」をつるっと音出し。OK。そう、今日はライブハウス16時〜しか入れないので、全曲通す時間がないのである。しょうがないね。なかなか、思うようにはいかない。
お昼御飯。いままで気になっていて行けなかった、Studioそばにある野菜のお店?名前なんだったっけ?直前の細々準備してくれているアシスタントさんと、Yuriさんと、GAYOの3人である。ランチ価格1200円〜1500円、まぁ、上原価格といえば上原価格なのだが、量が・・・多い。野菜が多い。さすが。女性だと全部食べきれないくらいの量だったのではないか?量と値段をみると、お得かもしれない・・・。ひさびさにそう感じた。ここの野菜は、このお店の方々が畑を持っていて、そこで生産して、朝とりにいって、料理するスタイルらしい。若い人たちがやってるのだが、だからか!?量がたくさん。そしておいしい。ちょっとした贅沢となる。でも食べたのは、野菜だけです・・・はい。
その後、岡村さんがいらっしゃり、パーカッションのリハーサルを1時間半ばかし。うむ。完璧!お疲れ様、岡村さん。
そんなこんなで、あっというまに移動の時間がやってくる。タクシー2台を使い、4人で移動。恵比寿までは近いのであった。
【恵比寿Art Cafe Friends】
なぜここでやるのか?というと、実は深く考えていなかった。昨年の大雪事件があって、ライブハウス保証金を払い、痛い目をみたGAYOが、保証金のないところで、せっかくだから、生ピアノがあるところでと、KOTAさんにきいたところ、ここを紹介された。要するに、いまのStudioと同じね。あまり細かいことを気にせず決めたと。結果、当日までいろいろあったけれど、みてのとおり。こういう感じの場所でした。
さて、16時をめやすに続々とメンバーが集合してくる。客席設定、ステージサウンドチェック。もうたんたんとワタワタと進んでいく。大阪公演後なので、なんとなくメンバーにゆとりを感じるのは錯覚だろうか?受付近辺には一切顔をだす暇がなく、アシスタントさんたち任せ。ありがとう。アンコールに参加する方々に少し早くきていただき、リハーサル。みな完璧ね。真面目ね。楽しんでね。
そしてあっというまに18時。開場時間がやってくる。今回はほぼ全席指定となる。久々に東京公演も満席でした。というか、あふれていました。しかし、椅子の数はあったので、なんとか、着席はできたかと。もうしわけなかったです。来年からは、また場所を考えますが、もう完売は完売で、絶対にチケットはおわけしません。どんなに偉い方でも、総理大臣でも、天皇陛下さまでも。いままで、GAYOのライブは、まぁ、当日くれば入れるだろう・・・的な風潮が漂っていたのでしょうね。いれてましたから。今回は、先に申し込まれた方々からも苦情がでてしまったので、ごもっともなので、次回から、また満席になるようなことがありましたら、非情にSOLD OUT宣言させていただきます。
そして、これは私のミスですが、やはりというか、特に大事な方々を予約リストに入れ忘れておりまして。いやはや。やってしまった。GAYOはもともと「招待枠」を使わないのですが(使っているとボーダーがわからなくなるので)、今回は、特に音楽家の方々を、「準招待」しようかどうか迷っていたまま・・・・迷っていたまま・・・・普通の予約リストに入れ忘れてしまったという。別リストに書いていたのが敗因。申し訳ない。とりあえず椅子があったからよかったものの。
そんな前段階があり、いよいよ19時半の開演時間がやってくる。プログラム構成は、大阪公演と同じ。会場が違えば雰囲気も違う。ましてや地元の東京公演。顔見知りも多い。いつもありがとう。2公演みられたかたは、違いが少し感じたかもしれない。
今回は、GAYOの演奏ミス以外は大きな失敗もなく、いいかんじで終了となる。(思いっきり省いているな)
東京公演アンコール「Wassail」参加者は、
・尺八:藤田博丈
・尺八:松前孝志
・Tin-Whistle:市村彩
曲目説明するつもり、なかったのに、結局、いつものようなトークとなり、気がつけば3時間コース。記念ライブにふさわしい・・・・長いライブとなった。そりゃそうだ。MCなしで1時間40分プログラムだったのだから。MCすればねぇ。あっはっは。すまん。確信犯でございました。
というわけで、終わったあと、ArtCafeFriendsさんで打ち上げしようとおもったのに、できず。できず。できず。ビールはお客様(豊田さん)から1杯ご馳走になりましたが、それだけ。あとは片付けして、Studioに運ぶ、肉体労働となる。
時間にして0時前くらいじゃなかったかな。疲れてはいるけれど、飲みたいGAYOとしては、荷物降ろしたあとそのまま飲みにいくのであった。しかしメンバーたちとは恵比寿でお別れしてしまったので、荷物運びを手伝ってくれたアシスタントさんと、名古屋からこられた友人でもありファンの方お2人と、・・・・まさかの・・・・・「魚民」。大阪では4回いって、東京でも「魚民」。この時間あいてるのここくらいしか・・・。(どうせみな、タクシーで帰還)魚民さんから、なにかライブの後援いただきたいかもしれない・・・とすら思えてくる。(もちろん他の企業からの後援、大絶賛受付中)大阪からの岡村さんも誘いたかったけれど、朝早くきていただき、リハーサルから本番から・・・ものすごい拘束時間だったので、ここはあえて声をかけず。ホテルでゆっくり寝てもらいたかったので。お疲れ様。
まぁ、この名古屋のおふたりは、WizOnというゲームをやっているので、自然とその話に。疲労した肉体。混沌とした脳みそ。そんな中、眠気もじわじわと襲ってくる。それにもめげず、体力ゲージが1桁になるまで、お話をして、飲んだ。このライブ、やることはやった。(いたらぬ点は多々あったので、ご迷惑をおかけしたところもありましたが)せっかくホテルとってるのにこんな3時?くらいまで飲みにつきあってくれる3人にも感謝。
(このお2人=Wizon仲間=にいただいた)
(WizOn=Wizardry Onlineというネットゲームである)
そしてこの方が編集してくださった東京公演の動画がこちら
http://www.nicozon.net/watch/sm25658894
この後?
爆睡よ、爆睡。というかもう半分寝ながら帰路についておりました。
メンバーのみなさんも、きっとへとへとだったことでしょう。GAYOの記念ライブにお付き合いいただき、ありがとう。御礼は演奏で返します。箏が必要なときは、いつでも協力します。そして、お客様。長時間ライブにつきあってくださりありがとう。安心して。もうこんな長いのは45周年か、50周年でしかやらないから。いやそのころにはもう体力がもたなくなってるかもしれない。また次回(10月)からは、6曲〜8曲のライブコンサートに戻します。多くの方々に囲まれて幸せな記念ライブとなりました。大阪、そして東京と、演奏に集中できた、そして我ながらよい演奏だったかなという達成感に包まれて、「音楽やってきてよかった」そう思えた公演となりました。
フジモトゆめグループ様、ビルボードライブ大阪さま、ArtCafeFriends様、サポートメンバーの皆様、スタッフの皆様、そして、記念ライブにお越しくださった皆様、心から感謝を申し上げます。
「ありがとう」
終わってから1週間、2週間、そして1ヶ月、3ヶ月とたっても、まだまだ、新鮮な記憶として残っています。この回想録を書かなくても、多分GAYOの一生の記憶として残ります。
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〜ここからは勢いで書く蛇足コーナー〜
これから音楽のプロを目指す方には、ぜひ伝えたいことがある。
「ぜひプロを目指してください」
いま、プロとして活動している方にも、ぜひ伝えたいことがある。
「ぜひ、本物のプロを目指してください」
「プロとはなんぞや?」
なんでしょうね?私のライブやコンサートにきてくれれば、わかるとおもいます。そして、私以上のものを世間に広めていってほしい。GAYOが40年かけてやってきたこと、40年かけてたどり着いたところを、みなが40年かけてちゃ発展がないでしょう?せめて、半分の20年でたどりついてほしいかな。それを繰り返していけば、音楽の・・・というと風呂敷ひろげすぎだね。「箏」の未来って明るくなると思う。
いま、私より若い世代が邦楽バンドやらいろいろグループで活動して売れてくるようになっているようで、うれしいかぎりなのだけれど、そことGAYOが大きく違うのはどこか?
「箏が主体」ということ。
箏が主体で楽曲を作り、楽曲を演奏し、多額のギャラをもらっている人間というのは、実はほとんどいない。
箏は伴奏させると不器用だけど、とても美しい。しかし、箏を主にもってくるのは、案外難しい。そのへんのさじ加減と、聴衆と演奏家の満足度のバランスは、今のGAYOはとてもよいのではないかと思う。ライブに来てくださった方々の感想はいかに?ここは是非ともきいてみたい。
GAYOが二十絃箏を始めたきっかけとなった作曲家の三木稔先生も、昨年(2014年)にお亡くなりになられた。私見でいわせていただければ、三木さんの作品は、演奏家であったGAYOにとってはとても興奮するもので、ややがんばらないといけないところとかのさじ加減がとてもよく、そして、その楽曲たちを先人たち(野坂恵子、吉村七恵などなど)が名演していた、あこがれの時代があった。かたや、立場を邦楽の世界から外へ向けたときに、それが通用しにくいことも、初期のリサイタルやコンサートを通じて感じてきた。三木さんの演奏家よりの素敵な曲風を、GAYOはちょいとばかし聴衆者側にもっていた、そんなバランスの中作られているのが、現在90曲(2015年現在)をこえているGAYOの作品なのである。
思えば長かった40年。1番密度が濃い時代は・・どこだったのだろう・・・・GAYOが30代突入前後かな。やることなすことすべてが挑戦で、失敗も多く・・・。つらかったけど楽しかったな。いままでやってきたことのすべてをひっくるめて、現在のGAYOができているとおもうと、どの時代も懐かしさであふれてくる。それぞれで関わった人たちにも聴いてもらいたかったけれど、ほとんどこられなかったのは、GAYOの生き方がそういうものだったからなのかもしれない。
正直、もう明日死んでも後悔はない。ここまで応援してくれたメンバー、スタッフ、フジモトゆめグループ様、お客様。この幸せの中に浸りすぎるとGAYOの歩みが止まってしまいそうなので、また、次のコンサートへ向けて、しばらくの期間は「のんびり」とやっていきたいと思う。
さて、さらに勢いにまかせて、最後に、もう一言。
お金を稼ぎたくてプロになるのであれば、それは芸能の世界に入るよろし。いろんな事務所があるでしょう?何人かは所属してやっているでしょう?彼らの現実をみて判断するよろし。
GAYOが勧めるのは、「お金と縁をきれる音楽家」。
そういう覚悟をもって、いいものを創り出し、いい演奏をしていくことに、(GAYOの場合はそこに「ちょいとゲーム」が入っているが)人生を捧げていける音楽家。
家賃を稼がなきゃ・・・と思った時点で、GAYOマインドとは一線を画すのである。みなにそうなれとはいえないけれど、そんな方向でやっていきたい人がいたら、ぜひコンタクトを。飲みにいこう!(とはいいつつも、一緒に演奏したいという人でもよかよ・・)
よいものをやっていれば、自分の心は常に満たされる。それを理解していない人たちにあれこれいわれても、スルーできる。そして、今回の「フジモトゆめグループ様」のように、応援してくださる方々に巡り会える(かも)。
「音楽」は「お金を生まない」。「お金」は「よいと思ってくれた方からいただく」。
よいと思ってもらいたいからと媚びをうらない。
常に自分を信じる。
よいメンバーに出会う。
仕事を選別する(断ることも大事ということ)。
仲間も選別する。
いい人にならない。
自分がされて嫌なことはしない。
相手の本質を見抜き判断する。
あーだこーだ。もろもろ。ぐだぐだ。
この自信があるからこそ、オリンピックで作曲してもよいし、演奏してもよい。審査員やってもよい。とにかく邦楽世界、音楽世界全体のレベルアップに期待する。
これが記念ライブ終わったGAYOのざっくり所感ということで終わりにしたいとおもう。
死ななくてよかった。
生きていてよかった。
音楽やっててよかった。
箏に巡りあえてよかった。
もう少し生きていられるなら、もう少し先まで踏み込んでみようかな。
そして、ありがとう・・・
雅葉・GAYO