20-strings-koto player Gayo Nakagaki |
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ピアノにKotaさん、チェロに菅野太雅さんを迎え、GAYOの代表的なスタイルの1つでもある「室内楽トリオ」を楽しんでいただきたい。
この曲は、「石の記憶」というイメージで作った。数ある素敵なジュエリー、原石の輝きに触れたときにひらめいたもの。今ここに美しく存在するこの石たちは、はたしてどれほどの人の手を経てきたのだろうか。ましてや人に触れる前の膨大な時間は、何を想って過ごしていたのだろうか。そして、これから将来(さき)、ただひたすらこの地球に存在するものたちを見守っていくのであろう。
ちょうどこの曲を作ったころは、周囲の人間に対してかなりの不信感を抱いていたGAYOの、信じたいけれど、なぜか信じられないという心の葛藤も感じることができると思う。
Cartierの「Roadster」という男性時計発表のイメージ曲として書かれた作品で、若き日のGAYOの無駄に演奏しにくいフレーズがみもの。そのためほとんど生で演奏はしない。伝統と革新、いまの時代を疾走する、まさにそんなイメージで書いた。
また、これはちょうど失恋した時に書いたもので、冒頭のメロディーなどは、「伝統」を表したものなのではあるが、かなり哀愁を帯びている。
「ワッセイル」とは「乾杯」という意味で、お互いの人生に、お互いの幸せに乾杯。そういう意味合いがある。GAYOのオリジナルアイリッシュ風作品となっている。発表以来、演奏者にも聴衆者(とくに外国の方)にも人気で、いつのまにかレギュラー入りした秀作。
CD「星のゆりかご」を制作するにあたり、どうしても8曲目が間に合わずあきらめていたところ、夜中にビール飲みながら朝には書き上がっていたという、別名「ビールのための曲」ともいわれている。
人と人との心の繋がり、魂のつながり、そういうものを信じていきたいというGAYOの強い願いが込められている。
今回Kotaさんのピアノが入ったことにより、より世界感、宇宙感が拡がった。恐るべし、Kotaさんのピアノ。他の編成としては、「箏・フルート・ピアノ」にアレンジしたものもある。
GAYOのヨーロッパ公演用に作ったもので、かなりポップスクラシックよりの作風ではあるが、何気に人気が高い。ただ、Keyが4#のため、箏のチューニングの都合上、なかなかステージのプログラムに組み込み難いところもある。
冒頭の十六分音符は、当初チェロに書いて、箏はのんびりとメロディーをいく予定だったのだが、レコーディング当日、「無理です」の一言で、あっさりチェンジ。その結果、とてもすばらしい出来になった。
オーケストラ編成でも演奏されたことのある、唯一のGAYO曲でもある。編成が多ければ多いほど、楽しい楽曲であるのだが、そこを削り取れるだけ削り取った「トリオ」という形も味わっていただきたい。GAYOのコンサート・ライブでの最後の曲という不動のポジションを築いている。
2002年当初は、「笛・尺八・三味線・箏・十七絃・和太鼓」という6人編成で書き上げたものだったのだが、演奏者たちに「また今度やろう」といわれたまま、埋もれていたものを、拾い上げて編曲していったものが、この形となる。
みなさん、生き急いでませんか?
自分という人間を、わかってますか?
ちょっと立ち止まってごらんなさい。
そして、ゆっくりと後を振り返ってごらんなさい。
ほら、そこには自分の歩いてきた人生の軌跡が。
GAYOは、ちょこちょこ自分の人生の分岐点にぶつかっる。そんなときに、過去の分岐点や、今ここにいたるまでの軌跡を確認する。そして、「よし、これからもがんばろう」と、そういう想いで作曲した、バラード風作品。
深い深い森の中、高い木々に囲まれた小さな池がある。そこは蒼い世界の物語。木々の合間から降り注ぐ「月の光をチェロ」に、「湖面に反射する光を箏」に、そんな2つの光の対話を曲に仕上げたもの。木々に囲まれているため、短い時間の逢瀬ではあるが、今日も、明日も、永遠に仲良しであろう、ありたいという想いを込めて作った。
このころ、GAYOは「7度の和音」という存在を知り、「137の和音」が箏奏者の指にぴったりくることから、ひたすらそればかり多用している作品となった。今思うに、ちょっと恥ずかしい・・・気がしないでもない。あえて、チェロの高音域を多用したことから、チェロという楽器の甘く切ない音色を引き出せたのではなかろうか。
作曲した直後のレコーディングだったため、テンポがやや遅く感じるであろう。実際のコンサートでは、そのへんの違いも楽しんでもらえると思う。
ちなみに、作曲中は、日本酒を飲んでいたという。正確には、日本酒を飲んで酔っ払っていたときに書いた作品ともいう。別名「日本酒の曲」
制作締め切り目前の夜中に、ビールを飲みながら一気に書き上げた作品で、別名「ビールの曲」ともいわれる。
長い冬もいつかは終わる。長い闇もいつかは終わる。GAYOの音楽もこの春のやわらかい陽射しのように、じわじわと、世界中の人々に伝わっていくとうれしい。
春夏秋、そして冬へと続く作品で、曲終わりはチェロの長いソロともに、冬の星空へのグラデーション的役割を担う。
二十絃箏とチェロのための二重奏として作曲されたが、「箏・ピアノ・チェロ」(CD「刻の忘れ物」に収録)や「箏・フルート・チェロ」などのトリオと編成を変えて演奏されることが多い。
生命とはなんだろう?そう感じたときに、自分の内面を通して生命の世界へとダイブしたときの感覚を作品にした。
二十絃箏のチューニングが、特殊なため、ライブ・コンサートで演奏するときは、前後のプログラムに注意されたし(自分用メモ)
全体的に哀愁漂う作品ではあるが、この二重奏に「チェロ」を加えた「箏・フルート・チェロ」のトリオ版もある。
初演の時は、観客の特に男性の方たちから「おっ!」という声をいただいた。
どこまでも澄み渡るフルートの音色と、夜空を彩る箏の音色をお楽しみいただきたい。
マイナー系のバラードに仕上がっているので、なかなかイベントなどでは演奏しにくいことは否めないが、箏の響きとヴァイオリンの響きがほどよく混ざり合う作品となっている。
音楽的には、やや現代曲調でもある。第一楽章「夢幻」から、第三楽章「邂逅」への、箏のチューニングブリッジ的にも重要な楽章である。
三和音を基本としたシンプルな、クラシックにより歩み寄った作風。1カ所、七の和音で音を飛ばす妙を体感あれ。
箏の伴奏にのせて、自由に飛び回るヴァイオリンのメロディーが、ヴァイオリニストの力量を惜しみもなくさらけだしている。
海の底に漂いながら、水面を見上げるとそこには太陽の光がまだ見える。そう深くはないのだろう。外の世界では、政治が、宗教が、その他いろいろな争いや破壊が起きている。生命も絶えるものもあれば、新しく生まれ出るものもある。しかし、わたしにとっては、一瞬の瞬きのこと。ちょっと昼寝している間のできごと。そう、私は何もかわらない。箏が好きで、箏をもっと多くの人に聴いてもらいたくて、そして、ただそれだけの存在。わたしは、箏をこれからもきっとやっていくのであろう。そんな思いが込められている。
大河ドラマオープニング風なイメージで作り上げた。
芸術に、旅行に、趣味にと、優雅であり、ゆとりある人生ってどんなんだろうか、そちらも想像の世界の中へ飛び立ち、書き上げた。
伊藤さんのバンド「Wiwila」のテイストでアレンジをお願いしたもので、予想どおりの明るく、素敵な「Peace」が出来上がった。感謝。